「答えが出ない状態」に耐えることにも意味がある
そして「手の届かない相手」への恋には、もう1つ特徴があります。
なかなか答えが出ないことです。
誰かを好きになると、多くの人は早く結論を知りたくなります。
「相手も自分を好きなのか」
「付き合える可能性はあるのか」
「告白するべきなのか」
曖昧な状態は落ち着かないため、できるだけ早く白黒をつけたくなるのです。
しかしイギリスの精神分析家、ウィルフレッド・ビオン(Wilfred Bion)氏が重視したのは、むしろ「分からない状態」に耐える能力でした。
ここでは詩人ジョン・キーツ(John Keats)が唱えた「ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)」という考え方も関係しています。
これは簡単にいえば、すぐに答えを決めつけず、矛盾や不確実さを抱えたまま考え続ける力です。
「あの人とはどうなっていたのだろう」
という問いには、永遠に答えが出ないかもしれません。
しかし答えがないからこそ、
「自分はなぜあの人に惹かれたのか」
「本当はどんな関係を求めているのか」
「自分はこれからどんな人になりたいのか」
と考え続ける余地が残ります。
つまり「未完の恋」は、不快なだけの宙ぶらりんな状態ではなく、自分について考えるための空間にもなりうるのです。
もちろん、だからといって苦しい片思いをいつまでも続けるべきだという話ではありません。
生活が手につかなくなったり、相手の境界を越えて追いかけたり、現実の人間関係をすべて犠牲にしたりするのであれば、空想はもはや成長を助けるものとは言いにくくなります。
大切なのは、欲望と現実の境界を同時に保つことです。
誰かを好きになることと、その相手との関係を実現しなければならないことは別なのです。
まとめ:「叶わない恋」に残るものとは?
「手の届かない相手」に惹かれる心理を考えると、そこには少し不思議な逆説があります。
普通なら、手に入らないものほど諦めたほうが楽なはずです。
ところが、関係が始まらなかったからこそ、その人はいつまでも「別の未来がありえたかもしれない存在」として心に残ることがあります。
そして、その未完の可能性を考える中で、私たちは自分自身についても考えます。
どんな人を尊敬するのか。
どんな人生に憧れているのか。
どんな人間になりたいのか。
そう考えると、叶わなかった恋から最後に残るものは、必ずしも「手の届かなかった相手」ではないのかもしれません。
その人によって自分の中に生まれた、「こんな未来もありえる」という可能性なのです。
恋は必ずしも、相手と結ばれることでしか意味を持たないわけではありません。
現実との境界を守りながら空想を空想として抱えておくことができれば、手の届かなかった誰かへの思いが、自分の未来へ進むための小さな方向指示器になることもあるのです。

































