ヒトの血は「出産した女性の血」だった可能性がある

血の内訳をさらに詳しく調べると、ウシなどの大型草食動物の血に混じって、確かにヒトの血が含まれていました。
それも、ほんの隠し味程度ではありません。
高山遺跡の破片では、検出された血液タンパク質の9割以上がヒト由来だったのです。
では、その血の一部はいったい誰のものだったのでしょうか。
描き手が自らを傷つけたのか、それとも誰かが犠牲になったのか──不穏な想像も浮かびますが、研究チームはまったく別の可能性に目を向けました。
サンプルからは、妊娠後期や出産直後の女性の体内で増える2種類のタンパク質(プロラクチン誘導性タンパク質とラクトフェリン)が検出されたのです。
この2つは乳にも多く含まれるため、「血ではなくミルクを混ぜたのでは」という疑いも浮かびます。
しかし破片のどこを探しても、乳の主要タンパク質である「カゼイン」は見つからず、ミルクを直接混ぜた線は薄くなりました。
残る有力な由来が、出産時や産後に流れた女性の血だったのです。
ここから研究チームは、ヒト由来の血液の少なくとも一部は「出産にともなって流れた女性の血」を集めたものだった可能性が高いと推測しています。
とはいえ、必要な血の量はごくわずかでした。
絵1平方メートルあたり、多くても8ミリリットルほどと見積もられています。
小さじ2杯にも満たない量で、1メートル四方の絵を岩に留められる計算です。
なぜそんな少量で足りたのかといえば、血は赤い色そのものではなく、赤い粒を岩に固定する”のり”の側に混ぜられていたからです。
石灰に血を混ぜたモルタルは、乾く過程で空気と反応し、石灰岩と同じ成分(炭酸カルシウム)の石へと変わっていきます。
このとき血のタンパク質が結晶の成長を整え、顔料の粒を一粒一粒、石の殻で包み込みました。
つまり赤い絵は崖の表面に「乗っている」のではなく、岩と同じ石の鎧をまとって崖と一体化していた——だからこそ猛暑も豪雨も台風も、2000年かけてこの絵を剥がせなかったのです。
またこの解釈は、描き手である洛越の人々の文化ともぴったり重なります。
洛越は家系や相続が女性の血筋を通じて受け継がれる母系社会であり、岩絵には妊婦や豊穣を思わせるモチーフも描かれています。
生命と再生の象徴である出産の血を、神聖な材料として絵に捧げたのかもしれません。
血と聞けば死を連想しがちですが、この崖に塗り込められていた血の一部は、その正反対——命の始まりの血だったのかもしれません。
































