- 万里の長城は一般的には、北方異民族の侵攻を防衛するために建造されたとされる
- 新たな研究は、最北に築かれた長城「北線」をドローンや衛星を用いて調査
- 建築された位置や構造から、軍事目的ではなく交易や遊牧民の監視、課税が目的だったとしている
万里の長城は、世界遺産に登録されており、世界七不思議にも選ばれる、エジプトのピラミッドと並ぶ古代の巨大建造物です。
その巨大さについては、衛星からも見ることができると言われています。
そんな万里の長城は、一般的に北方の異民族の侵攻を防ぐ目的で建造されたということが定説でした。
しかし、新しい研究は万里の長城建設の目的が、軍事的防衛ではなく、人々の監視が目的だった可能性を指摘しているのです。
最北の壁の調査
万里の長城は、紀元前214年、秦の始皇帝によって建設されたとされています。
しかし、実際は、紀元前数世紀の春秋戦国時代から紀元後17世紀の明の時代までに、段階的に造られた建造物で、かなり複雑かつ多くの壁が存在しています。
イスラエルのヘブライ大学、モンゴル科学アカデミーの考古学研究チームは、2年以上の歳月をかけて、この中でも11世紀から13世紀に築かれた最北にある長城について、調査を行いました。
これは中国金朝時代に築かれたもので「金の界壕(かいごう)」と呼ばれています。
さらに最北に築かれた壁は、中国北部からモンゴル国内の北東地域にまで全長737キロメートルに渡っていて「北線(Northern Line)」と呼ばれます。
壁は版築(はんちく)という工法で、粘土質の土を突き固めて作られていて、定説ではチンギス・ハーンの侵攻を防ぐために築かれたと言われています。