心のデジタル化にはそもそも3つの前提がある
心・精神をデジタル化することは現代では不可能であり、その見通しも立っていません。
なぜなら「心のデジタル化」には現在人間が解決できない大きな課題が複数存在しているからです。
そもそも心のデジタル化は、未解決な3つの前提の上に成り立ったものです。
第一に「心のすべてが脳の中に存在する」必要があります。
これは、私たちが「何を思い、何を考え、どう感じるか」といった心の作用すべてが脳の物理的な構造によって生じているという考えであり、物理主義と呼ばれています。
第二に、「人間が脳を十分に理解でき、デジタルコピーするだけの技術を持つ」必要もあります。
そもそもこの論題自体、人間に脳を理解しコピーできるだけの能力があるという前提の上に成り立っているのです。
第三に、「脳のデジタルコピーを使って、コンピューター内で脳の働きを完全に再現する」必要もあります。
これはつまり、「人間の心はプログラムコードですべて再現できるのか?」という疑問を解決することだと言えるでしょう。
例えば、私たちが「ミカンよりリンゴが好き」という感情を抱くとします。
そして、これをコンピューター内で再現するために、プログラミングで「ミカンよりもリンゴを好む傾向」をつくるのは簡単です。
では、後者は感情ですか? そうでないとしてもコードをもっと複雑にすれば、そのプログラム処理は感情と呼べるものになりますか? 現在これを完璧に回答できる人はいません。
さて、ここまでで3つの前提を考えてきました。これらはずっと議論されてきたことですが、答えは出ていません。
では仮にこれらの前提をクリアするなら、心・精神のデジタル化は可能でしょうか?