昔から伝わる「悪態パワー」の謎

スポーツの試合や職場などで思わず「くそっ!」などの汚い言葉(悪態)を叫んだことで、力や気合のようなものが湧いてきた経験はありませんか?
経験的にも悪態をついたあとの人々は原因から「全力で逃げる」よりもむしろ「立ち向かう」という行動のほうをよくとるはずです。
こうした「悪態をつくと力が出る」という現象は、昔から多くの人がなんとなく感じていて、科学者たちも「これは本当なのか?」「なぜそんなことが起こるのか?」と興味を持ち、研究を続けてきました。
これまでの研究では、悪態を口にすると実際に力が入りやすくなるという結果が報告されています。
例えば握力のテストでは、汚い言葉を口にした直後に握力が平均で約1.4kg高くなるというデータが示されています。
他にも、「悪態を口にした人は、氷水の中に手を入れているときの痛みをより長く我慢できる」という結果も報告されています。
これらの効果は心理的なものだけではなく、実際に体の生理的な反応、つまり体の内部で起こる自動的な活動とも関連すると考えられています。
悪態をついたときに私たちの体は強い感情を抱きやすくなり、その感情の影響で体の内部の活動(自律神経の反応)が活発になるとされているのです。
自律神経とは、私たちが意識しなくても勝手に体の機能を調整してくれる神経のことで、例えば緊張すると心拍が速くなったり、汗をかいたりするのはこの自律神経の働きです。
悪態をつくことが、この自律神経を刺激し、体が一時的に「本気モード」に入るような状態になるのではないかと考えられています。
しかし、実際にはまだよく分かっていないこともありました。
特に、「なぜ悪態をつくことで一時的に力が出るのか」という詳しい仕組みは、長い間はっきりと説明されていなかったのです。
かつての研究者たちは、「悪態をつくとアドレナリン(興奮したときに出るホルモン)が増えて力が出るのではないか?」と予想し、その証拠をつかもうとしていました。
しかし、この予想はなかなかはっきりとは実証できませんでした。
そこで最近になって注目されているのが、「状態脱抑制(じょうたいだつよくせい)」という考え方です。
これは難しい言葉ですが、簡単に言えば「普段は心にかかっているブレーキが一時的に外れて、行動を起こすアクセルが強く踏まれるような状態」のことを意味します。
私たちは普段、脳の中で常に「これをやってもいいかな?」「失敗したらどうしよう?」という自分自身への見張り(自己チェック)をしているため、なかなか力いっぱい行動をすることが難しくなります。
しかし、悪態を口にすると、一瞬だけこの見張り役の力が弱まり、「失敗を気にせず思い切りやってみよう!」という気持ちに切り替わりやすくなるのかもしれません。
イメージとしては、「普段は安全装置がついている機械が、短時間だけ安全装置を解除してフルパワーを出す状態」に似ています。
研究チームは、この「状態脱抑制」の理論が本当に正しいかを確かめるために、脳が行っている自己チェック機能に注目しました。
私たちがミスをしたとき、実は脳の中では瞬間的に「ミスをしたぞ!」という警告サインが出ます。
これを専門用語で「エラー関連陰性電位(ERN)」といいます。
ERNはミスをした直後、ほんの一瞬で脳から出る小さな電気信号です。
もし悪態をつくことで本当に「心のブレーキ」が弱まるならば、このミスを知らせる脳の警告サインも弱まるはずです。
つまり、悪態をついた時には、「多少のミスは気にせずに行動に集中する」ような状態になり、ERNの大きさが小さくなるだろうと予想されました。
今回の研究では、この予想が正しいかどうかを確かめること、そして「悪態で握力が高まる」効果をもう一度確かめることを目的として行われました。
もしERNが小さくなることが確認できれば、「悪態をつくと脳が自分への監視を弱め、その結果、力を出しやすくなる」というメカニズムの説明につながると考えられたのです。