なぜ科学者は“ワームホール説”を真剣に検証したのか?

「別の宇宙と繋がるワームホールなんて本当にあるわけがない」——普通の感覚では、そう感じる人が多いでしょう。
ワームホールとはSF映画や小説に出てくるような話で、宇宙のある場所から遠く離れた別の場所や別の宇宙へ、一瞬で移動できるトンネルのようなものです。
現実世界にそんなものがあるとはとても信じられませんが、実は科学者の間では必ずしも否定されていない仮説なのです。
特に、最近の重力波観測がそのような可能性を考えるきっかけとなりました。
そもそも重力波とは、ブラックホールや中性子星という超高密度な天体が激しくぶつかった時になどに放たれる、時空そのものが揺れる波動として観測されます。
この現象が初めて観測されたのは2015年のことで、それ以来、世界中の研究チームが多くの重力波を検出してきました。
その結果、観測結果には一定のパターンがあることが判明します。
これまでに観測されてきた重力波の多くは、二つのブラックホールなどが螺旋状にぐるぐる回りながら徐々に近づき(インスパイラル)、やがて激しく衝突(マージャー)し、その後、合体したブラックホールが徐々に落ち着いていく(リングダウン)という、一連の過程を見せてきました。
このパターンは、鳥がさえずるように波形がだんだん強くなってピークを迎え、その後穏やかに静まることから、「チャープ(さえずり)パターン」と呼ばれています。
ところが、2019年5月21日に記録された「GW190521」という重力波は、これまでのチャープパターンとは明らかに違いました。
重力波「GW190521」ではその前触れ部分が非常に不明瞭で、突然、最大のピークだけが約0.1秒未満という極めて短い時間で「ドーン」と現れて終わったのです。
これはまるで、オーケストラの演奏を聞こうとしたら、演奏開始からのゆったりした序盤や徐々に盛り上がる中盤を飛ばして、いきなり一番激しいクライマックスの部分だけが一瞬だけ耳に入ったような、非常に奇妙な出来事だったのです。
さらに研究者たちを悩ませたのは、この重力波を出したブラックホールの質量でした。
通常の恒星が一生を終えたあとにできるブラックホールには、理論的に「質量がこれ以上にはならない」と考えられている特定の範囲(ペア不安定質量ギャップ)があります。
しかし、このGW190521では、合体前の二つのブラックホールの質量が約85太陽質量と約66太陽質量という、このギャップの中に含まれる奇妙な値を示していました。
さらに、合体してできた新しいブラックホールは約142太陽質量で、これも通常の理論から外れている不思議な数値だったのです。
これらの不可解な数値を説明するために、研究者たちはさまざまな仮説を考えました。
宇宙が誕生した直後にできたとされる「原始ブラックホール」や、宇宙に存在すると仮定される極細のエネルギーのひも状構造である「宇宙ひも」なども候補として挙げられましたが、どれも決定的な証拠はなく、GW190521は重力波天文学において前例のない謎として注目され続けていました。
そこで研究チームが新たに考えたのが、「ワームホール由来のエコー」という仮説です。
もしブラックホールが合体したあと、一瞬だけワームホールのような特殊なトンネルが形成されたら、そのトンネルを通じて、合体時に生じた重力波の一部が別の宇宙や離れた空間へ漏れ出し、時間差で再び私たちの宇宙に戻ってくる「エコー(残響)」が生じるのではないか、という考えです。
研究チームは、GW190521で観測された奇妙に短い重力波が、実はこのようなワームホールを通ったエコーの最初の一回目の波(ファーストエコー)であり、その後ワームホールが短時間で崩壊してしまったために、一度しか観測できなかったのではないかと考えました。
果たして、この奇妙な重力波は、本当にワームホールを通った「別宇宙からのエコー」なのでしょうか?
この大胆な仮説を検証するため、中国科学院大学のQi Lai氏らの研究チームは、実際に観測されたデータを使ってこの可能性を丁寧に調べることにしました。
もし本当に別の宇宙からのエコーが存在するとすれば、GW190521は初のワームホール観測となる可能性があります。