ブラックホールには、2つの生まれ方がある

私たちが普段ニュースなどで見かけるブラックホールは、太陽の何倍もある巨大な星が燃料を使い果たし、自分自身の重さに耐えきれずに崩壊することで生まれます。
中心部がギューッと押しつぶされ、ついには光さえ逃げ出せないほどに重力が強い領域ができあがる ── これが、いわゆる「恒星質量ブラックホール」です。
ところが、理論物理の世界には、もう一つのブラックホールが住んでいます。
それが、宇宙初期にできた可能性がある原始ブラックホール ── 極小サイズのものも考えられる、もう一つのブラックホールです。
こちらは星の死とは関係ありません。
宇宙が誕生した直後、超高密度・超高温だった頃に、ちょっとした物質の密度の偏りが、ある臨界値を超えて重力崩壊を起こす ── このようにして原始ブラックホールが時空にポコッと生まれたのではないか、というのが最も広く議論されてきたシナリオです。
そして今回の論文がスポットライトを当てているのは、その「臨界値を越える、まさにその瞬間」に時空で何が起きているのか、という、より奇妙な描像のほうなのです。
その瞬間には、ほんのわずかなエネルギーの差で、時空がもとの姿に戻るか、それともブラックホールへと崩れていくかが決まる「臨界状態」と呼ばれる特殊な状態が現れると考えられています。
論文の著者であるダニエル・グルミラー氏(ウィーン工科大学)は、この状況を氷の結晶でたとえ「摂氏0度の水を考えてみると、ほんのわずかな変化で水は凍り始める。すると、水分子は自発的に規則的なパターンに整列し、氷の結晶を形成する」と述べています。
時空においても、これとよく似たことが起こりうる ── つまり、ほんのちょっとのきっかけで、空間と時間そのものが”凍り始める”瞬間がある、というのが、研究チームの主張です。
そういう意味では臨界状態とは「分かれ道に立ったときの時空の特殊な姿」と言うこともできるでしょう。
そしてこの「一瞬の姿勢」が、なんと規則正しい繰り返し模様を見せるらしいのです。
この発見のキッカケは、30年以上も前に行われた演算にありました。
・1993年、計算機の中に現れた”奇妙な繰り返し模様”
1993年、一人の物理学者がコンピューターの中で、その奇妙な生まれ方の予兆を捕まえました。
カナダの物理学者マシュー・チョプトゥイクは、ある計算をコンピューターに任せていました。
彼が知りたかったのは、ブラックホールが生まれるかどうかの「ギリギリ」を再現したら、いったい何が起こるのかということです。
ブラックホールができるパラメーターと、できないパラメーターの、ちょうど境界。
坂道の頂上のボールを、本当にバランスがとれるそのポイントに置いてみたら ── 計算機は、何を映し出すのか。
「1993年という、まだスマホもない時代に、そんな計算ができたのか?」と思うかもしれません。
確かに当時のコンピューターは現代の感覚でいえばかなり貧弱な性能でした。
最高性能のマシンさえ、スマホの足元にも及ばないレベル、と言ってもよいくらいです。
そこでチョプトゥイクは計算機にやらせる仕事を思い切って単純化し、「ある場所に、エネルギーの塊(波の山のような場の配置)を置いてみる。それが自分自身の重力でぎゅっと中心に集まっていったとき、どうなるかを見守る」という部分にフォーカスして演算を行いました。
宇宙全体ではなく、宇宙のたった一点を中心に、まんまるい”エネルギーの塊”の動きだけを追いかけるわけです。
これだけ単純化すれば、1993年のコンピューターでも扱えました。
するとブラックホールができるかできないかギリギリの強さの時に、奇妙としか言いようのない構造が見えてきました。
時空の濃淡(曲がり方)が、まるで規則正しい結晶のように、空間と時間のなかで繰り返し模様を作っていたのです。
しかも、その模様には不思議な性質がありました。
ズームしても、ズームしても、同じパターンが何度も繰り返し現れるのです。
これは、雪の結晶や海岸線が、近づいて見ても遠ざかって見ても似たような形を保つあの性質と、よく似ています。
スケールを変えても模様が崩れない、いわば「入れ子構造」のような幾何学的構造です。
ちなみにチョプトゥイクの1993年の原論文では、この入れ子模様には、はっきりとした「縮尺の比率」があることも報告されていました。一段階内側にズームするごとに、次に現れる模様の大きさは、前の模様の約31分の1。
マトリョーシカ人形でいえば、内側の人形は前のサイズの31分の1、その内側はさらにそのまた31分の1 ── それが永遠に続いていく、めまいがしそうな入れ子構造なのです。
そして、研究者たちはこの繰り返し模様を、「時空の結晶」と呼ぶようになりました。
もちろん、宇宙空間にダイヤモンドのような固い結晶が浮かんでいるわけではありません。
並んでいるのは原子や分子ではなく、「時空の曲がり方」そのものです。
アインシュタインの一般相対性理論によれば、質量やエネルギーがあると時空は曲がります。
その「曲がり方の濃淡」が、空間と時間のなかで規則正しく繰り返している ──そしてそれがブラックホールになるかならないかの「臨界状態」で出現するというのです。
ところが、ここからが厄介でした。
この「時空の結晶」、計算機の中ではくっきり見えるのに、人間が紙と鉛筆で書ける”数式”として表すことが、どうしてもできなかったのです。
画面の中で確かに動いているのに、紙の上では捕まらない。
これは物理学者にとっては大変な不快感を伴う事態です。
なぜなら、計算機の中の現象は「結果」として観察できても、「なぜそうなるのか」「どんなルールに従っているのか」が、根本的にはわからないままだからです。
例えるなら、目の前に見たことのない料理が出てきて、見た目も匂いも食感もわかるのに、レシピだけがどうしても手に入らない、というような状況です。
何が起こっているのかは見える。
でも、なぜ起こっているのかは分からない。
素人考えでは、シミュレーションができるのなら、その答えを紙と鉛筆で書ける数式に起こすのも簡単そうに思えます。
でも、シミュレーションが出してくれるのは、あくまで『値の山』であって、『数式のかたちをした答え』ではないのです。
加えて数式にする場合にはブラックホールを支配するアインシュタイン方程式をベースにする必要がありましたが、これが問題でした。
アインシュタイン方程式は、なめらかに広がる時空を描くのは得意でも、時空結晶のように”入れ子の中にまた入れ子”が無限に続いていく繊細な構造を、紙の上できれいに書き表すのは、恐ろしく難しい性質を持っているからです。
それから30年以上、世界中の物理学者がこの「時空の結晶」のレシピを書き起こそうと挑戦してきました。
けれど、誰一人としてうまくいきませんでした。
しかし今回、時空結晶を描く数式がついに発見されました。



















































