鋼鉄の右腕を持ったドイツ騎士「鉄腕ゲッツ」
義肢は(少なくとも)約3000年前から存在しているにもかかわらず、その後の数千年間で、あまり技術に進展が見られませんでした。
最も大きな変更は、木や石膏で作られていた義肢が「鉄製」に変わったことです。
中世ヨーロッパでは、騎士の鎧を作る鍛治職人が、特定の顧客のために義肢も作っていたことがわかっています。
興味深いことに、これらの義肢は基本的に、実用性重視ではなく、欠損部を隠すための外見重視だったようです。
鉄製の義肢を装着していた人物として最も有名なのは、中世ドイツの騎士、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン(1480〜1562)でしょう。
彼は、1503年に起きたランツフート継承戦争にて、敵の大砲により、右腕の肘から先を完全に失ってしまいました。
しかし、彼は鉄製の義手を装着することで、その後も戦場に参加し続けました。
それ以来、彼は周囲から「鉄腕ゲッツ」の異名で知られるようになったそうです。
ゲッツは血の気が多く、戦いには首をつっこまずには居られない性分だったと言われています。
彼が使用した義手は実物が現存しており、ドイツのホルンベルク城の博物館にて保管されています。
初期の義手は簡素な作りでしたが、2代目になると指の部分にバネを搭載した高度なものとなり、左手で操作することで開閉ができるようになりました。
ゲッツは義手を手に、戦場を駆け巡ります。
ただ不幸なことに、火砲が著しく発達しはじめていたルネサンス期は騎士にとって生きにくい世界でした。
加えてゲッツは特定の君主を持たない「独立騎士」として生きていたため、経済事情は芳しくありません。
そのためゲッツは、自らの権利を戦って勝ち取ることを認めていた中世時代の法「フェーデ」を悪用し、表向きは正式な「決闘」の名のもとに弱者に対して強盗・恐喝・誘拐を繰り返し「強盗騎士」「盗賊騎士」と呼ばれるようになったと記録されています。
一方、略奪を行う敵軍から農民を守ったという記録も残っており、単なる輩(蛮族)ではなかった事実が伺えます。
そんな戦いに明け暮れていたゲッツですが、82歳で天寿を迎える前に置き土産を残していきました。それが自叙伝です。
彼の自叙伝はその後、あの有名な「ゲーテ」を感動させ、1773年にゲッツを讃える戯曲『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』(Götz von Berlichingen mit der eisernen Hand)が作られたことが知られています。
なおこの戯曲は、モーツァルトも影響を受けており、戯曲中のゲッツのセリフである「俺の尻を舐めろ(Leck mich im Arsch)」をタイトルにした楽曲が作られています。
ゲッツの人生や戯曲のセリフとは不釣り合いな、美しい音色となっています。
鋼鉄の腕を持つ騎士ゲッツは、時代を超えて愛されていたのでしょう。
ゲッツの時代から400年、現代の義肢技術は格段の進歩をみせています。
ゲッツの時代は鉄だった材質も、シリコンやプラスチック、アルミニウムなどを組み合わせることで、患者の体格や患部にあったサイズや重さの義肢が製造可能になっています。
また、「義足装着者の自然な歩行をサポートする外骨格」まで開発されています。
さらには、「触れられた感覚がわかるロボットの指」の開発も進んでおり、義肢と肉体の繋がりはより親密になりつつあります。
今後、義肢のさらなる進化により、体の一部を欠損したとしても以前のライフスタイルを完全に取り戻すことも可能になるかもしれません。