「吸血鬼退治キット」の持ち主は誰?
Hansonsによると、今回出品された「吸血鬼退治キット」は、イギリスの元貴族であるウィリアム・マルコム・ヘイリー卿(1872-1969)が所有していました。
ヘイリー卿は非常に聡明な人物として知られ、オックスフォードのコーパス・クリスティ・カレッジで教育を受けた後、1924年から1928年まで、当時イギリスの植民地となっていたインドのパンジャブ州で知事を務めました。
一方、その輝かしい経歴の中で、彼は吸血鬼退治の道具に関心を持っていたようです。
吸血鬼の民間伝承はとても古く、数千年前にはすでに古代ローマやギリシアで、墓に重い石を乗せて死者が出てこれないようにする習慣がありました。
一説には不死者の存在が世間に流布されるようになったきっかけは、死亡したと勘違いされたカタレプシー(強硬症)患者が、棺の中で蘇生したことだったと言われています。
(カタレプシー:ギリシャ語で「握りしめる」を意。決まった姿勢を維持し続けて動かなくなってしまう神経症の一種)
また、現代に伝わる西洋的なヴァンパイア像(人の生き血を吸う不死身の怪物)は、15世紀のルーマニアに実在した「ヴラド3世」に端を発します。
彼は、敵国の兵士や自国の民を串刺しにして食べたり、生き血を飲んだとされました。
有名な「ドラキュラ」という吸血鬼の呼び名も彼の通称に由来し、その意味はルーマニア語で「ドラゴンの子」を意味します。
これは彼の父親ブラド2世がハンガリー王国のドラゴン騎士団に入団したことで「Dracul(ドラクル:竜公)」と呼ばれていたことが理由です。
そのため息子のブラド3世は、ルーマニア語でドラゴンの息子を意味する「Drăculea(ドラキュラ)」になったのです。
そして彼をモデルにして誕生したのが、ブラム・ストーカーの有名な小説『ドラキュラ』(1897)です。
このときブラムはルーマニア語のドラク(Drac)には悪魔という意味もあると知り、ブラド3世の通称ドラキュラを「悪魔の子」の意味に転用して利用したようです。
初めから吸血鬼は創作物として登場しているわけですが、この時代のヨーロッパには重要な情報革命がありました。
それが活版印刷技術の登場です。
よく知られる魔女のイメージも、この時代の過激なミソジミスト(女性嫌悪者)ハインリヒ・クラーマの著書『魔女に与える鉄槌』(羅: Malleus Maleficarum)が大ヒットして広まったと言われます。
ドラキュラの伝説も同様で、嘘か誠かわからぬ噂話となってヨーロッパ中に広く知れ渡っていきました。
そのため16世紀の西洋では、蘇って生者を襲わないよう死者の足に杭を打ったり、口に石を入れて埋葬されるようになるほど影響を及ぼしていきました。
吸血鬼伝説はその後も長く語り継がれ、ヘイリー卿の時代にも、吸血鬼の存在が信じられていたことは確かです。
(ちなみに、現代でも吸血鬼伝説は一部で信じられており、2017年に、マラウイで吸血鬼と疑われた男性2人が、自警団により殺害される事件が起きました)
ヘイリー卿が、どんな目的でこのアイテムを手に入れたのかは不明ですが、もしかしたら、吸血鬼に遭遇したときの武器として入手しておいたのかもしれません。
では、「吸血鬼退治キット」の一式は、どんな内容なのでしょうか?