17世紀に「月へ行ける」と考えたジョン・ウィルキンス
ジョン・ウィルキンスは1614年に、金細工師の父と、イングランド中部・ノーサンプトンシャー州のジェントリ(上流階級)の子孫である母との間に生を受けました。
幼少の頃から聡明だったウィルキンスは、オックスフォード大学モードリン・カレッジで数学や天文学を学び、1631年に学士号を、1634年に修士号を取得します。
1648年にはオックスフォード大学ワダム・カレッジの学長に就任し、1660年にはロンドン王立協会(Royal Society of London)の設立に貢献しました。
その一方で、神学にも傾倒しており、イングランド国教会の聖職者に任命され、生涯を通じて、高位の役職に就いています。
このように彼は、「科学」と「神学」という相反する2つの世界に身をおき、時と場合に応じて、巧みにその2面を使い分けていました。
そして彼の活躍した17世紀当時、人々にとって”月世界”は、まさしく”別世界”でした。
今日の認識と違い、「月は地球とまったく異なる材料や構造をしており、同じ自然法則には従わない」と広く考えられていたのです。
これに対しウィルキンスは、1638年に出版した著書『A Discovery of a New World in the Moon』の中で、この考え方に異論を唱えます。
彼は、望遠鏡による月面の観測データに基づき、「月は地球と同じく岩石でできた自然物であり、独自の大気を持っている」と主張したのです。
(※ 前半の洞察は正しかったが、月に大気は存在しません。重力が地球の6分の1しかないため、もし大気があっても宇宙空間へ飛んでしまいます)
ウィルキンスは、こうした考えを提唱した最初の人物ではありませんが、この本には、月面旅行を実現するための方法や課題を探る章が設けられていました。
では、彼の考えた「月面旅行の理論」とは、どんなものだったのでしょうか?