脳に注射する遺伝子治療薬により「寝たきり」の子供が走れるように
数ある遺伝病のなかにおいて、AADC欠損症は最も残酷な病状をもたらします。
AADC欠損症の患者たちは、脳内の情報伝達に必須な神経伝達物質(ドーパミン)を作るために必須な酵素遺伝子が変異しており、脳内でドーパミンをほとんど、あるいは全く作ることができなくなってしまいます。
私たちが体を動かしたり考えたり言葉を発することができるのは、脳の神経回路がスムーズな情報伝達を行っているからです。
一方、神経伝達物質(ドーパミン)が作れない場合、脳内での情報伝達が困難になります。
そのため、AADC 欠損症の子供たちは体の動きを制御することができずに寝たきりになり、言葉を話すスキルもみにつかず、身体及び精神的な発達も大きく阻害されてしまいます。
またAADC欠乏症の子供たちには「注視クリーゼ」と呼ばれる眼球が上向きに固定されてしまう悲惨な発作を起こし、加えて頻繁な嘔吐、睡眠障害も発生させます。
発症した場合の寿命も極めて短くなり、10歳をまたずして死亡する可能性が報告されています。
さらにこれまでAADC欠損症が報告された事例は135件に留まっており、希少疾患とされていました。
一方、近年における急速な遺伝子治療法の進展は、多くの遺伝病の治療を成功させています。
遺伝子治療と聞くと難しく聞こえますが、その概念はいたってシンプルであり「原因となるのが遺伝子の不具合ならば、外部からちゃんと動く遺伝子を細胞に送り込めばいい」というものになります。
正常な遺伝子を送り込む手段として主に使われるのは無害化したウイルスです。
ウイルスは細胞に感染すると自分の遺伝子を細胞に注入する性質があるため、この性質を利用してウイルスの遺伝子を改変して正常な人間の遺伝子を注入するようにします。
たとえば以前にカリフォルニア大学ロサンゼルス校で行われた研究によれば、免疫力を持てなくなってしまう遺伝子変異をかかえる赤ちゃん約50人の骨髄細胞を取り出し、正常に動く免疫遺伝子をウイルスを使って組み込み体内に戻したところ、98%赤ちゃんで免疫系が働くようになったことが報告されています。
しかし今回は問題が起きている場所が脳である点が大きな壁になっていました。
主流となる遺伝子療法では無害なウイルスを細胞に感染させることで、ウイルス内部に仕込んだ正常な遺伝子を送り届けるという手段をとります。
しかし脳は脳関門と呼ばれる一種のバリアを備えており、体にとって異物となるものの侵入を許しません。
そして脳細胞は骨髄細胞のように「一時的に取り出す」といったことはできません。
そこで研究者たちは、1.5歳~8.5歳までの28人の子供たちの頭蓋骨にドリルで穴をあけ、正常な遺伝子を組み込んだ無害なウイルス(アデノ随伴ウイルス2型:AVV2)を直接、脳の中央部に存在する「被殻」と呼ばれる場所に流し込むことにしました。
すると、治療から3カ月後には効果があらわれはじめ、2年後には子供たちの70%が頭の動きを制御できるようになり、65%が他人の助けなしに座れるようになりました。
また治療効果は幼い子供ほど(特に4歳まで)高くなる傾向にあり、最も成功した1歳半の「Rylae-Ann」ちゃんのケースでは、寝たきりの状態から歩いたり、走ったり、馬に乗ったり、話したりすることが可能になりました。
この結果は、希少な遺伝病に対して遺伝子治療が劇的な治療効果を発揮したことを示します。