700年以上前の残忍な殺人の実態が明らかに
男性の遺骨は2006年、イタリア北部ロンバルディア州ヴァレーゼ県の小さな町チッティーリオにあるサン・ビアージョ教会にて発見されました。
この教会の最も古い部分は8世紀に建てられていますが、男性の遺骨は11世紀に増築された入り口付近のアトリウム(内部空間)にある墓から見つかっています。
また放射性炭素年代測定の結果、遺骨は1260年頃にこの場所へ埋葬されたことが特定されました。
さらに今回の研究により、殺害されたときの年齢は19〜24歳とかなり若かったことが判明しています。
本研究では、コンピュータ断層撮影(CT)や精密なデジタル顕微鏡検査など、現代の法医学技術を用いて、頭蓋骨に見られる傷跡を詳しく分析しました。
研究主任のキアラ・テシ(Chiara Tesi)氏は「そのおかげで殺害の詳細な手順が明らかになった」と話します。
その手口は以下の通りです。
まず被害者の男性は、何者かによって正面から鋭利な刃物で切り付けられました。
この傷跡は頭蓋骨の上部に浅く残っていたので、男性は最初の一太刀を防いだか、致命傷を避けることに成功したと考えられます。
次に、犯人はその場から逃げ去ろうと背を向けた男性を追うようにして二の太刀、三の太刀を浴びせたようです。
こちらの傷はかなり深く、被害者の右耳の後ろと首筋の上部の頭蓋骨に跡がはっきりと残されていました。
おそらく、この攻撃が致命傷となり、男性は逃げる力を失って、その場にうつ伏せの状態で倒れ込んだと見られます。
そして犯人は最後に後頭部に重い一撃を落とし、とどめを刺しました。
合計4度の剣撃を頭蓋骨に受けたことで、男性は絶命したのです。
また傷跡の分析から、それらはすべて同じ刃物(鋼鉄製の剣と見られる)でつけられており、傷の位置から一人の加害者の犯行であることが示唆されました。
テシ氏は「犯人にどんな動機があったかはわからないが、これは明らかに過剰な攻撃(overkill)である」と述べています。
研究チームは被害者の身元を明らかにすべく、歴史的な記録や埋葬地を調べてみましたが、「ヒントになるものは何も見つからなかった」という。
一方で、サン・ビアージョ教会の入口の目立つ場所に埋葬されていた事実から「この教会を設立した有力者のデ・チティリオ(De Citillio)家の一員であった可能性がある」と指摘しています。
さらにこれとは別に、被害者の額には傷が治った跡があり、戦闘訓練を受けていたことが示唆されました。
加えて、右肩甲骨に特徴的な発達が見られ、「幼少期から弓の訓練を受けており、動物の狩りも頻繁にしていた可能性が高い」とテシ氏は話します。
このことから、被害者男性はそこそこ腕の立つ武人であった可能性があります。
となると男性を殺害した犯人も、不意打ちとはいえ、剣術に長けたかなりのクセモノだったことが想像されます。
犯人の正体や犯行の動機は流石に迷宮入りしそうですが、現代の技術で、中世の殺人事件の実態がここまで詳細に明らかになったのは驚くべきことでしょう。
何か深い物語の一幕がそこで繰り広げられていたのかもしれません。