液体窒素の「ライデンフロスト効果」を利用して塵を吹き飛ばす
人類は長年の夢であった月面への着陸を成功させましたが、そこから厄介者との格闘が始まりました。
月面を覆う塵がまるで磁石のように触れるものすべてに付着したのです。
さらに悪いことに、月の塵は非常に細かな粒子であらゆる隙間に入り込み、加えて、グラスファイバーを粉砕したような硬さを持っていました。
研究主任のイアン・ウェルズ(Ian Wells)氏は「月の塵は静電気を帯び、研磨性があって、あらゆる場所に付着するため、対処するのが非常に難しい物質です」と話します。
実際、1960年代から70年代にかけて月面で行われた6回の有人探査では、ブラシを使って宇宙服に付着した塵を払おうとしましたが、うまくいきませんでした。
その微小性と研磨性により、宇宙服の隙間に侵入したり、探査用のデバイスや電子機器を故障させてしまったのです。
それからクルーたちは塵を吸い込むことによる「月の花粉症(lunar hay fever)」にも悩まされました。
月の塵は目の痒みや喉の痛み、くしゃみを引き起こすだけでなく、人間の細胞にとっても有害であり、塵にさらされ続けると肺病を引き起こす恐れもあると指摘されています。
アメリカ航空宇宙局(NASA)は、2025年以降に再びクルーを月面に送り込む「アルテミス計画」を控えており、月の塵の除去は喫緊の課題なのです。
そこで研究チームは今回、宇宙服に付着した月の塵を除去する方法として、液体窒素による「ライデンフロスト効果」を検証することにしました。
ライデンフロスト効果とは、液体がその沸点よりも高い温度の表面にぶつかると、液滴が玉のようになって表面上を飛び回る現象のことです。
たとえば、熱したフライパンに冷水をパッとかけると、水滴がフライパンの上をコロコロと移動します。
このような急速に液体が気化する力を利用して塵を払おうというのです。
当然沸点が100度の水を使うわけにはいきませんが、液体窒素ならばその沸点はマイナス196度です。
同チームのジェイコブ・リーチマン(Jacob Leachman)氏は「液体窒素が沸騰すると元の800倍にまで膨張し、それが物質の表面にぶつかると、ほとんど小さな爆発のようになる」と指摘。
「その衝撃を使えば、塵のような粒子を遠くへ吹き飛ばすことができるはずです」と続けます。
そしてチームは、NASAが使用しているものと同じ素材で作られた宇宙服を6分の1スケールのバービー人形に着せて実験を開始。
また本物の月の塵は使えなかったため、1980年のセント・ヘレンズ山(ワシントン州)の噴火で採取された火山灰で、月の塵によく似た性質を持つ模擬粒子を用意し、宇宙服に付着させました。
さらに月面に近い真空環境を再現し、その中にバービー人形をセットして液体窒素を噴霧しています。
実際の様子がこちら。
その結果、事前の予想通り、宇宙服を覆う模擬粒子は液体窒素の噴霧によってビーズ状になり、スプレーの蒸気に乗って簡単に吹き飛ばされていったのです。
実験ではなんと宇宙服に付いている模擬粒子の98.4%を除去することに成功しています。
また液体窒素スプレーは、ブラッシングのような従来の除去方法と比べて、宇宙服の素材に非常に優しいものでした。
ブラシでは1回磨くだけで宇宙服の素材にダメージが生じるのに対し、液体窒素スプレーではダメージが生じるまでに75回ものサイクルを要しています。
あとは実寸大の宇宙服への有効性およびクルーへの安全性が確認できれば、即戦力となるでしょう。
チームは現在、より本物の月面環境に近い条件下でテストするためにNASAによる助成金を申請中とのことです。
とりあえず、バービー人形はこれで大役を終えたことになります。