自慰をしたサルだけが子孫を残せた
なぜ霊長類は4000万年にもわたり自慰を続けてきたのでしょうか?
その理由を研究者たちは自然淘汰や進化圧に求めました。
通常、ある生命の特徴が維持されるのは、その特徴を持ち続けた個体のみが生き残り、それ以外が排除されたからだと考えられています。
手足や目にも同じことが当てはまります。
手足や目が獲得されてから、多くの種で維持されているのは、手足や目といった特徴を維持し続けたほうが有利だからです。
この有利さは特徴をもたない存在に対して圧力として働き、突然変異によって手足や目がない個体がうまれても、種として確立される前に排除されることになります。
同様に霊長類が4000万年にわたり自慰の習慣を失わず維持できたのも、ときたま生まれる自慰をしない変異を持つ個体が、すぐに排除され続けてきたからだと考えられます。
ただ手足や目と比べて、自慰の習慣が残った理由を類推することは困難です。
そこで研究者たちは収集した膨大なデータを使って「自慰が行われる理由」として提唱されてきた複数の仮説を検証することにしました。
結果、2つの仮説をデータから実証することに成功します。
1つ目は「弱いオス」が子孫を残す「早打ち」のための自慰でした。
「自慰で子孫が残るのか?」と疑問に思うかもしれません。
ですが多くのサルでは、弱い立場にある下位のオスは、せっかく交尾をはじめても、上位のオスによって交尾が邪魔されることが知られています。
妊娠していないメスと交尾する権利は強いオスが独占しているからです。
そのため弱いオスが子孫を残すには、メスの膣に挿入すると同時に射精する必要があります。
この素早い射精に役立つのが自慰です。
霊長類が子孫を残すには、「①メスの膣にペニスを挿入して」「②腰を振りながら自らのペニスを刺激し」「③精子を出す」という3段階が必要とされます。
自慰による刺激で射精直前の状態にしていれば、挿入(①)とほぼ同時に射精(③)が可能になり、強いオスに邪魔される前に性行為を終わらせることが可能になるからです。
この視点からみれば、自慰は「弱者の味方」として働き、遺伝的多様性の維持に貢献してきたと言えるでしょう。
検証に耐えた2つ目の仮説は「新鮮な精子」を射精するための自慰でした。
霊長類の多くの種では、1匹のメスに対して多くのオスが射精する生殖形態がとられています。
そのためメスの胎内に射精された複数のオスたちの精子は必然的に、1つの卵子を巡る激しい競争にさらされます。
このとき有利になるのが、精子の新鮮さです。
生産されたばかりの精子は長い間貯蔵されていた精子に比べて元気であることが多く、古い精子よりも先に卵子と受精することができます。
新鮮な精子を用意するには古い精子を排出する必要があり、その方法として採用されたのが自慰でした。
研究者たちは、自慰行為はオス同士の激しい競争と共に進化してきたと結論しています。
一般的に自慰は淫らで恥ずべき行動と考えられがちですが、生物学的にはこのような子孫を残す上で有利な特性も考えられるのです。
3つ目に実証された仮説は「性感染症対策」としての自慰でした。
先に本研究では自慰を行う霊長類と行わない霊長類の比較が行われたと述べましたが、その比較によって明らかにされたのが、自慰を行う霊長類では性感染症が多くみられるという事実でした。
自慰による射精には交尾にともなって尿道内部に侵入した病原体を洗い流す効果があると考えられているからです。
たとえば南アフリカに生息するリス(Geosciurus inauris)は性行為の後に自慰をすることで、メスからもたらされた病原因子を浄化していることが知られています。
性感染症が多い霊長類で自慰が多くみられるという結果は、霊長類においても自慰が性感染症を予防するために機能している可能性を示しています。
(※以前に行われた研究では人間の自慰には精巣で発生したがん細胞を排出する効果があると報告されています)
霊長類にとって自慰は子孫を残すだけでなく、自らの健康を守るためにも重要な方法だったと言えるでしょう。
また霊長類のメスも頻繁に自慰を行うことが知られていますが、今回の研究で起源や理由が特定されたのはオスの自慰のみのため、研究者たちは今後、霊長類のメスの自慰についても研究範囲を広げていくとのこと。
もし将来的に爬虫類や鳥類などより広範な動物たちの自慰の謎が解明できれば、知られていなかった意外な生態が明らかになるかもしれません。