突然変異のせいで殺人犯として服役させられていた女性が出所
20年前、我が子4人を殺害した罪で、母親のキャスリーン・フォルビックさんは有罪となり投獄されました。
フォルビックさんは10年あまりの間に4人の子供を出産しましたが、長男のカレブは生後19日、次男のパトリックは8か月、長女のサラは10カ月、次女のローラは18カ月で亡くなりました。
検察側は母親であるフォルビックさんを、4人の子供を連続殺害した殺人犯として起訴し、裁判の結果、フォルビックさんは懲役40年を言い渡されました。
この事件はオーストラリアで起きた「最悪の女性による連続殺人」として知られるようになり、最後まで無罪を訴え続けていたフォルビックさんは「世界一残酷な母親」「世界で最も嫌われている女性」と言われるようになってしまいます。
しかし、この事件は当初から不可解な部分がありました。
検察はフォルビックさんが4人の子供を窒息させて殺したと主張しましたが、4人の子供の体には首を絞められたような跡や、日常的に虐待を受けていたような痕跡がなく、殺人を直接証明するような物的証拠も一切ありませんでした。
そのため検察側の主張は全て状況証拠にもとづいたものとなり、最大の「証拠」として提出されたのは押収したフォルビックさんの日記に記された「子供たち全員についての罪悪感が私を悩ませている」という部分となりました。
さらに検察側は4人の幼い子供が全員2年以内に自然死する可能性は極めて低いという確率論を使って陪審員たちを説得することに成功してしまいます。
そしてフォルビックさんの20年に及ぶ服役がはじまりました。
裁判が行われた2003年当時はやっとヒトゲノムプロジェクトが終了した時期であり、もしフォルビックさんの子供たちに突然死を引き起こすような遺伝疾患があったとしても、それを証明することはできませんでした。
しかし遺伝学が進歩するにつれて、フォルビックさんにかけられた濡れ衣が少しずつ剥がれていきます。
フォルビックさんが服役していた20年は遺伝学にとって、DNAと病気の関連性を解き明かす20年でもあったからです。
最初の一歩は、フォルビックさんが服役してから9年後でした。
2012年に行われた研究で、あるスウェーデンの家族において、カルシウムの制御にかかわる「カルモジュリン」と呼ばれるタンパク質の遺伝子に変異が起きたせいで、心臓病のような突然死が起きていたことが判明します。
心臓の鼓動を正確に行うには心筋細胞を出入りするカルシウムイオンの制御が不可欠であり、カルモジュリンはカルシウム調節の要となるタンパク質です。
そのためもしカルモジュリンの遺伝子に機能を失わせるような変異が起これば、心臓は正しく拍動できなくなり、心停止を経て死に至ります。
同様の遺伝子変異に関連する症状は「カルモジュリノパチー」として知られており、発生率は3500万人に1人と非常に稀で、心臓への致死的な症例は全世界で134例しかありません
2013年の研究では同様のカルモジュリン遺伝子の突然変異により、2人の乳児が複数回の心停止を起こしていたことが判明。
また2016年の研究ではカルモジュリン遺伝子に起きた別の変異によって、2人の子供が心停止していたことが報告されました。
これまで乳児の突然死は多くが原因不明とされてきましたが、遺伝学の進歩によりその原因が遺伝子にあることが示されたのです。
2019年になるとより大規模な調査が行われ、カルモジュリン遺伝子に変異をもつ74人の子供を追跡調査したところ、6歳の段階で27%が心臓病で死亡していたことが判明しました。
もしフォルビックさんの亡くなった4人の子供たちに同様の遺伝子変異があった場合、検察が主張したように4人の子供が幼くして全員自然死することはありえない偶然ではなく、不幸な必然となります。
そこでフォルビックさんの弁護士と研究者たちは事件の再調査に着手しました。
すると当時の医療記録にも4人の子供たちは亡くなる前にさまざまな症状に苦しんでおり、1人目の男の子は先天的な呼吸困難をかかえ、2人目の男の子はてんかん発作を起こし、3人目と4人目の女の子もなくなる前に呼吸器感染症を患っていたことがわかりました。
つまり4人の子供たちは全員亡くなる前から、突然の窒息死を引き起こしかねない危険な状態にあったのです。
しかし2003年に行われた裁判では子供たちの事前の健康状態は重要視されませんでした。
2020年になると、ついにフォルビックさん親子を対象にした研究が行われ、フォルビックさんの3人目と4人目の娘たちのカルモジュリン遺伝子に働きを失わせるような重大な変異が起きていることが判明します。
さらに1番目と2番目の息子たちはカルモジュリン遺伝子に変異がなかったものの、致死的なてんかんを引き起こす別の変異がBSNと呼ばれる遺伝子に起きていることが示されました。
この変異をもつマウスはてんかん発作を繰り返し、50%が6カ月以内に死んでしまいます。
当時の医療記録には、フォルビックさんの2番目の息子であるパトリックは死亡する前からてんかんや失明の症状を示していたことが明確に記されています。
これらの結果は、亡くなった4人の子供たちは先天的な致死性の突然変異が起きていたことを示しています。
もし当時の人々が、4人の子供たちの異常な病歴に少しでも関心があれば、遺伝学が未発達な当時であっても、誤審を防げたかもしれません。
2021年にはノーベル賞受賞者2名を含む90人の著名な科学者が署名したフォルビックさんの恩赦を求める嘆願書が州知事に提出されることになります。
そして2023年6月5日、フォルビックさんは恩赦を受け20年の服役を終えました。
「私はこれからもずっと永遠に、子供たちのことを思い、悲しみ、懐かしみ、深く愛し続けます」
フォルビックさんは亡くなった子供たちについてコメントを残しました。
4人の子供を失い、その罪を着せられ、最悪の殺人犯として20年以にわたり服役させられたことについて、フォルビックさんの弁護士たちは「彼女の痛みを理解することは不可能です」と述べています。
一方、フォルビックさんの無罪を立証するために尽力した研究者たちの元には、自分の子供を殺した罪で告発されている女性たちの相談が持ち込まれはじめました。
研究者たちは「相談を受けた女性たちの子供の多くは重度の遺伝子疾患をかかえていたため、死亡した可能性が高いようだ」と述べています。
オーストラリア科学アカデミーは今回の結果を受け、法制度を「科学に配慮した」ものに改革する必要性があると結論しています。
記事内の誤字を修正して再送しております。