本当に重い人ほど速く滑るのか?
ここまでの物理学の基礎を聞く限り、重いものと軽いもので滑り台を滑る速度は変わらないと予想されます。
しかし立教大学の村田次郎教授と塩田将基さんが行った研究では、重い人ほど滑り台を速く滑る事が確認されたのです。
実験では同じ大きさの物体を滑り台で滑らせ、画像処理型変位計測技術を使用して物体の運動を詳細に観測しました。
画像処理型変位計測技術とは、画像内で物体を画素(ピクセル)単位で追跡し、動画のフレーム(撮影の時間間隔)毎に物体の移動距離を算出し、速度、加速度を求めることができる技術です。
以下の表は全て同じ段ボール(19.4 cm × 33.5 cm × 31.2 cm)で、中に入れた重りと、段ボールの滑る進行方向面の面積の組み合わせを示しています。番号Gは極端に重い場合として学生さんが滑った場合を示しています。
下の図は横軸に時間、縦軸に滑り降りた距離を表したグラフで、上の表の条件でローラー式滑り台を滑らせた結果を示しています。
図の線の傾きは「時間に対する変位の割合」=「速度」を表しています。
この図の左側が、様々な重さの物体を滑らせた結果です。これを見ると、質量が大きいほど傾きが大きくなっているのがわかります。
これはつまり、重いものほど速く滑り台を滑っていたということです。これを見るとやはり滑り台で重い人ほど速く滑る体感は間違っていなかったようですね。
右の図は、滑らせる物体の質量は統一して、それ以外の条件を変えた場合にどうなるか比較した実験結果です。
これは表のC、E、Fを比較しています。
この結果を見ると、空気抵抗、底面積(摩擦抵抗を受ける面)が変わったとしても、質量が変わらなければ滑る速度は変わらない事が確認できます。
つまり純粋に重さのみの影響で滑り台を滑る物体の速度は決まっているようです。
物体は、落ちる場合も滑る場合も徐々に加速していきますが、最終的にある速さ以上は加速せず、一定の速さで移動するようになります。これを終端速度といいます。
興味深いことに、滑り台では重い物体ほどその終端速度が大きくなることが明らかになりました。
この研究結果は、通常は「速度や質量に依らず一定値を取る」と習う動摩擦係数が、実際には「速度や質量に依存している」可能性を示唆しています。
重い人ほど滑り台を速く滑るのは気のせいなどではないことは明らかとなり、その理由はどうやら「摩擦係数が速度や質量に依存しているから」と考えられるのです。
しかし、この現象が確認できるのは、ローラー式滑り台に限定されている可能性があります。
以下の図3は公園でよく目にする一般的な金属板の滑り台を対象に、図1で示した実験と同じ計測を試みた結果です。
この結果を見ると、実験した範囲内の重さでは、特に物体の滑る速度に大きな差は確認できませんでした。これは動摩擦係数が一定である事と矛盾しません。
この結果は私たちを混乱させます。結局のところ動摩擦係数は速度や質量に依存しているのでしょうか? していないのでしょうか?
少なくとも、ローラー式では動摩擦係数が速度や質量によって変化する可能性がある事は確かなようです。
しかし、ローラー式の滑り台は単純な摩擦の話では済まないことに注意が必要です。
本来はローラーの回転運動のエネルギーを考慮したり、回転運動に伴い発散される熱や音といったエネルギーのロスも考慮する必要があります。
金属板式滑り台の実験に関しても、長い距離を滑れるものや、石材製など違うタイプの滑り台で試せば興味深い結果が得られる可能性が考えられそうです。
滑り台を滑る速度と聞くと、かなり単純な物理実験のように感じますが、今回の実験は実際には非常に複雑な物理現象の問題のようです。
この研究成果は日本物理教育学会の学会誌である『物理教育』誌に掲載されました。
今回の村田教授と塩田氏の研究は、物理で習う直感との差異を実験的に検証する、実践教育的な価値が高いものだと言えます。
この研究を応用できれば、滑り台の他にも「スキーやスノーボード」、「車や自転車のブレーキ」など、身近に溢れる摩擦と関わりのある現象に対して、さらに深い洞察を与えてくれるかもしれません。
例えば、スキーをしていても体重が重い人の方が明らかに加速が速い様に感じる事はありましたが、これも勘違いではなく、動摩擦力の質量依存性、速度依存性が一部に影響している可能性も考えられます。
摩擦の物理はまだまだよくわかっていない事が多いようです。今回使用された高精度に変位が図れる計測機器の進化によって、古くて新しい摩擦の物理学に新たな1ページが加わるかもしれません。