江戸時代でも刺身は鮮度が命
江戸で人気だった刺身はカツオです。
鰹の刺身は5月から6月に旬を迎えており、この時期には多くの江戸の町人がカツオに舌鼓を打っていました。
当時は相模湾や東京湾内湾の近くで獲れたカツオが快速船に積まれ、江戸の中心部へと運ばれていきました。
北斎の「富嶽三十六景」にも登場する七挺櫓の押送船(おしおくりぶね)には、カツオが積まれて江戸へ運ばれたと記録されています。
カツオは、漁獲後にエラ蓋を開けて内臓を取り除き、生簀(いけす)に入れて運ばれました。
押送船が日本橋の魚河岸に到着し、魚問屋や請下(仲買)、棒手振りを経て市民の手に渡ったとされています。
当時は競りが行われていなかったため、時間を無駄にせずに魚が庶民の手元に届けられました。
一部の船には幅1尺、長さ5、6尺の板舟に水を張って魚を載せる「請下」があり、鮮度維持に工夫が凝らされました。
また、明治神宮の井戸の水温を活用するなど、当時の冷蔵技術を駆使した方法も存在していたのです。
このように漁獲された鰹が江戸の町人の口に届くまでは24時間近くかかりましたが、井戸などで冷蔵されていたり、時間にかなり気を遣っていたりしたこともあり、意外と鮮度が落ちることは無かったようです。
しかし江戸の初鰹の値段は現代価格で8万円近くしたと言われ、長屋の庶民は腐敗した安い鰹を食べて食中毒を起こすこともしばしばあったようです。
そのため『恥ずかしさ医者に鰹の値が知れる』という柳多留(やなぎだる:川柳のこと)が読まれたりもしています。