マグロはあまり好まれていなかった
一方で現在は刺身のイメージを独占しているマグロですが、江戸時代中期までは不人気な魚でした。
これは当時のマグロの呼び名の「シビ」から死日を連想し縁起が悪いとされていたと言われていますが、単純に江戸に流通したマグロの状態が悪かったためという説も有力です。
というのもマグロの漁場は長門豊浦(現在の山口県下関市)、平戸(現在の長崎県平戸市)、筑前(現在の福岡県)、薩摩(現在の鹿児島県)、能登(現在の石川県)、牡鹿半島(現在の宮城県石巻市・女川町)、安房(現在の千葉県)、常陸(現在の茨城県)、伊豆(現在の静岡県)といずれも外海に面している漁場であり、江戸近海ではあまり獲れていませんでした。
そのようなこともあって、遠方からマグロを船で運んでくる際には鮮度が低下しており、それ故マグロのイメージが悪かったと考えられています。
しかし19世紀に入ると、マグロが江戸で広く食べられるようになりました。
これは、紀州から房総半島の布良村(現在の千葉県館山市)に移住した漁民が、マグロ延縄漁業を始めたことと関連しています。
マグロ延縄漁業は一本の幹縄に釣針のついた枝縄を数多くぶらさげて、魚のかかるのを待つ漁法であり、これによりマグロを多く獲ることが出来るようになりました。
また脂身が少なくて劣化しにくい赤身を酒と醤油を混ぜて作った「煮切り」につけて食べる方法が開発されたことも、マグロが食べられる要因の一つとなりました。
とは言えまだまだマグロの刺身は食べられておらず、マグロの刺身を庶民が味わえるようになるのは、冷蔵技術の発展する近代を待たなければなりません。