伊勢参拝のついでに諸国漫遊する江戸時代の旅人
それでは江戸時代の伊勢参拝はどのような行程で行われていたのでしょうか?
江戸近辺の農村に住んでいるある旅人の伊勢参拝の行程を見ると、東海道を下って伊勢神宮(現在の三重県伊勢市)に向かっています。
しかし一直線に伊勢神宮に向かっていたのではなく豊川稲荷(現在の愛知県豊川市)や熱田神宮(現在の愛知県名古屋市)などに参拝しており、それなりに寄り道をしています。
旅行のメインである伊勢では4日ほど使っており、外宮・内宮をゆっくり参拝するだけでなく、二見や鳥羽といった近隣の観光地にも足を延ばしています。
その後は近畿地方に進み、奈良や大坂の見物をしました。
大坂からは船に乗って四国へ向かい、金刀比羅宮(現在の香川県琴平町)や道後温泉(現在の愛媛県松山市)といった現代でもおなじみの観光地を訪問しています。
その後瀬戸内海を渡って本州に渡り、厳島神社(現在の広島県廿日市市)や錦帯橋(現在の山口県岩国市)を訪問しました。
再び近畿地方に戻り、大坂や京の見物をした後、今度は中山道を進み、善光寺(現在の長野県長野市)に参拝しています。
そして中山道を上って帰宅するのです。
この行程は2カ月近くかかっており、まさに一世一代の大旅行となっています。
なお江戸時代の旅人は平均して一日30キロメートルから40キロメートル歩いていましたが、山道を歩いたり自分の体調がよくなかったりした場合はもっと少ない距離しか進みませんでした。
このように江戸時代は自由に旅行に行くことができなかったということもあり、伊勢参拝のついでに諸国漫遊をするということが通例でした。
実際に先述した「東海道中膝栗毛」でも主人公たちは江戸→伊勢神宮→京・大阪→金刀比羅宮→厳島神社→京・大阪→善光寺→江戸と旅行しており、先述した旅程とほぼ同じです。