歌川広重の「伊勢参宮・宮川の渡し」、当時の人々にとって伊勢参拝はまさに一生に一度のイベントであった。
歌川広重の「伊勢参宮・宮川の渡し」、当時の人々にとって伊勢参拝はまさに一生に一度のイベントであった。 / credit:wikipedia
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一生に一度の諸国漫遊!江戸時代の人々はどんな旅行をしていたの? (3/3)

2023.12.03 Sunday

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何に費用がかかったの?

歌川広重の「木曽海道六十九次」に描かれた木賃宿、現在の感覚で言えば漫画喫茶宿泊に近い
歌川広重の「木曽海道六十九次」に描かれた木賃宿、現在の感覚で言えば漫画喫茶宿泊に近い / credit:wikipedia

それでは伊勢参拝では、どれくらい費用がかかったのでしょうか。

まず現代の旅行でも大きな割合を占める交通費ですが、陸路はほぼ全て徒歩で行っているということもあり、船代を除き費用はほぼかかりません。

それでも体調が悪かったり、険しい道を進んだり、はたまた行程に遅れが見られるときなどは駕籠や馬に乗るなどしており、全く交通費がなかったわけではありません。

先述した一行の場合も一部区間で駕籠や馬を使っていますが、費用は決して安くなく、何度も使えるものではありませんでした。

また先述のように通行手形は伊勢参拝の場合は無条件で手に入れることができたので、そちらに費用がかかることもありませんでした。

一番多くの費用がかかったのは宿泊代です。

当時の宿は夕食と朝食がついている旅籠と素泊まりの木賃宿に分かれており、双方で大きく値段は異なりました。

旅籠の宿泊料金は130文~200文であり、木賃宿の宿泊料金は60文~80文です。

1文は経済事情の相違により単純に比較するのは難しいですが、現代の価値で30円ほどと言われています。

特に京や大坂といった大都市の場合は双方ともに費用が高く、出費がかさみました。

また昼食は旅籠で持参の弁当箱におにぎりなどを詰めて食べていたり、街道沿いにある茶屋で食事を取ったりしていました

木賃宿に宿泊する場合は、米を購入して自分で調理していたのです。

さらに、特定の場所での案内者に対する支払いも取り上げられており、奈良観光で88文、大坂観光で164文、京都観光で200文それぞれ案内人に支払いました。

このように多額の費用がかかった伊勢参拝ですが、当時はクレジットカードやATMなどといった便利なものはなく、それ故、旅行に必要な財産を全て持ち歩く必要がありました。

そのため当時の旅人は費用を金貨や銀貨といった高額通貨で持ち歩き、途中の宿場町で銭貨に両替して使っていたようです

なお江戸時代の東海道は武士が多く通るということで警備が行き届いていたことから比較的治安が良く、「旅行するのも命がけ」という状態ではなかったと言われます。

しかしそれでも夜間になると治安は悪くなりますので、基本的に旅人は日の出から日没までの間に移動を済ませ、宿に入るのが普通でした。

ちなみに1760年頃の相場では金1両に対して銭4000文であり、大体12万円程度です。

先述した旅行の旅費は5両程度かかったとのことですので、現代の価値に直せば60万円程度かかったことになります。

60万もの費用が必要で全て持ち歩かなければならなず、二カ月近くかけた大旅行となると、やはり現代でも現役引退後でなければ実行は難しいでしょう。

当時の人達にとって、人生で一度は経験したい旅行であり、重要な娯楽の1つだったとはいえ、伊勢参拝がなかなか出発の決心をするのが難しいものだったことはこの事実からも伺えます。

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