今と変わらない教育ママの奮闘

それでは戦前はどのように中学受験の準備をしていたのでしょうか?
当時は塾などの教育産業はあまり発達していなかったので、親ができる一番の受験対策は子どもを良い小学校に入学させることでした。
現在は中学受験の前に国私立の小学校を受験する人もそれなりにいますが、戦前は国私立の名門校は少なく、それゆえ「お受験」はあまり盛んではなかったのです。
代わって行われたのは、名門公立小学校への学区をまたいだ越境通学です。
特に番町尋常小学校(現代の千代田区立番町小学校)、麹町尋常小学校(現在の千代田区立麹町小学校)、東京市立誠之小学校(現在の文京区立誠之小学校)の3つは名門校として知られ、越境通学をして通う人も多くいました。
そのうちの一つである誠之小学校は「父母の強い進学への要求」を受け、中学校進学のための課外授業を導入しており、入試準備教育を行っていたとされています。
さらに、母親が学校を訪れ、「廊下すずめ」と呼ばれる学校の様子を窺い歩くことが日常的に行われていました。
教師たちも「父母の期待」に積極的に応え、運動会や校外学習、学芸会などの教科外活動を縮小するなどして中等学校進学に対応していたとされています。
もちろんこのような事は禁止されており、中等学校入学準備教育に関しては、度重なる禁止令が出されていました。
しかし行政当局は事実上暗黙の容認に近い対応を見せており、これらがなくなることはなかったのです。
また学校での受験準備教育だけでなく、家庭でも多くの時間を受験準備に割いており、親子一丸となって受験勉強に臨んでいました。