現在とは全く違う意味を持っていた戦前の中学受験
そもそも戦前の教育制度はどのようなものであったのでしょうか?
戦前の義務教育は6年間であり、小学校を卒業したら義務教育は終了しました。
そして小学校卒業後の進路については、そのまま働きにでる人も一定数いましたが、進学に関しては現代と異なり大きく分けて2つの選択肢がありました。
それが高等小学校への進学と中学校への進学です。
高等小学校とは小学校卒業後そのまま進学することができる2年制の学校です。
一方の中学校は現代の中学校とは異なり、入学には受験が必要な5年制の学校で、現在の中高一貫の進学校に近い存在でした。
高等小学校は受験が必要なく、小学校の延長線上の初等教育という位置づけで、中学校よりもレベルの低い授業が行われていました。例えば中学校では数学を学んでいる時に高等小学校では算数を学んでいました。
さらに高等小学校に進んだ場合、制度的に中学校に編入学することが出来なかったため、現在のように「中学受験の失敗を高校受験で取り戻す」ことは不可能だったのです。
そのため高等小学校へ進んだ場合、その後の進学先は師範学校(戦前の教員養成機関)や実業学校(現在の職業高校)など例があったものの、正当な学歴を積むことは出来ませんでした。
それ故中学受験は戦前のエリートの卵にとってはまさに最初の難関でした。ここで躓くと、先の人生がある程度決まってしまうという認識だったのです。
しかし現在の中学受験と異なって戦前の中学受験では中学浪人は決して珍しいものではありませんでした。
戦前にも現在の予備校に近いものがなかったわけではないですが、多くの中学浪人生は一旦高等小学校に進学して、次の受験の機会を待っていました。
このような事情もあって高等小学校には「小学校の延長」と「中学受験予備校」という2つの面があったのです。