サーフィン文化の中心地を襲った干ばつ
米西海岸のカリフォルニア州は昔から、サーフィン文化の中心地として知られています。
サーフィンはもともと西暦400年頃のハワイやタヒチで始まり、20世紀に入ってカリフォルニアに伝えられました。
1950年代には同地でサーフィン文化が大きく成長し、音楽やファッション、生活スタイルにまで強い影響を与えます。
61年に南カリフォルニアのホーソーンで結成された「ザ・ビーチ・ボーイズ」は、サーフィンをテーマにした楽曲を作り、世界にカリフォルニアのサーフィン文化を広めました。
ところが気候変動の激しいカリフォルニアは1970年代になって長期にわたる干ばつに見舞われます。
この干ばつは1000年以上の長いスパンで見ればそれほど例外的なものではありませんが、短期的には十分に大規模なものでした。
干ばつの影響は1977年に頂点に達し、その年のカリフォルニアは「20世紀で最も乾燥した年」となっています。
同州の水供給に不可欠なコロラド川とサクラメント川の水位は1977年に最低となりました。
農業分野では推定30億ドルの経済的損失が発生し、州の貯水量も77年に記録的な低さをマークしています。
これを受けて、州政府は節水のために自宅の裏庭にあるプールに水を張ることを固く禁じました。
これがスケートボード文化を拡大させる大きな契機となります。
南カリフォルニアに普及していた「腎臓型プール」
庶民の感覚からすれば信じ難いでしょうが、カリフォルニアにはプール付きの自宅がたくさんあります。
これは第二次大戦後にアメリカが経済的な大繁栄を経験し、一戸建て住宅の建設ブームが起こったことがきっかけです。
その中で裏庭にプールが設置され、1960年代にはカリフォルニア州に15万以上のプールが作られたという。
特に南カリフォルニアでメジャーになったのが「腎臓型プール(kidney-shaped pools)」と呼ばれる形のプールでした。
これは学校にあるような従来の立方体プールではなく、腎臓のように縁や内壁が緩やかに湾曲しているのが特徴です。
このデザインは1939年にフィンランドのモダニズム建築家であるアルヴァ・アールト(1898〜1976)によって発明されました。
彼は池や湖の自然な輪郭からインスパイアされて、プールの内壁まで緩やかに湾曲させたのです。
そしてこれが1948年に、カリフォルニア州の造園家であるトーマス・チャーチ(1902〜1978)によって南カリフォルニアに持ち込まれます。
50〜60年代の南カリフォルニアの建設ブームではこの腎臓型プールが主流となり、全プールの60%を占めるまでになりました。
もうお気づきかもしれませんが、この腎臓型プールの形こそがスケートボードの練習場としてうってつけだったのです。
干ばつによる節水政策で空になった町のプールは、スケボー小僧たちの理想的な遊び場となりました。
加えて、もともとサーフィンをしていた子供や若者たちもこぞってスケートボードへの転向を始め、人気に火がつき始めるのです。
その中で、スケボー文化に革命を起こした伝説的なグループが現れます。