スケボー文化の革命児たち「Z-BOYS」
スケボー文化の革命は、南カリフォルニアの都市サンタ・モニカの海岸地区にある「ドッグタウン」から始まります。
70年代のサンタ・モニカは貧困と犯罪の温床となっており、中でもドッグタウンは街の多くが廃墟と化していました。
一方でドッグタウンには「ZEPHYR(ゼファー)」というサーフショップがあり、そこを溜まり場にしていた十数人のティーンエイジャーがいたのです。
彼らはZEPHYRを拠点としてスケートボード・チームを結成し、「Z-BOYS」と名乗ります。
Z-BOYSの滑りは今までのスケートボードの概念から大きくかけ離れていました。
これ以前はボード上での逆立ちやウィリー走行など、平面的で比較的おとなしいスタイルだったのに対し、Z-BOYSは垂直に跳ねたり飛んだり回転したりと激しくアクロバティックなスタイルを生み出したのです。
そう、彼らがやったのはサーフィンの波乗りを陸上で再現することでした。
そして彼らは1975年に、当時大きなスケボーコンテストだった「デル・マー・ナショナルズ」に登場し、60年代のスタイルを引きずる参加者の中で驚愕の滑りを披露し、賞を総なめにします。
彼らのスタイルは直ちにアメリカ全土に広まり、スケボー文化に革命を起こすことになったのです。
Z-BOYSの物語は、2005年の映画『ロード・オブ・ドッグタウン』として公開されました。
科学技術の進歩もスケボー文化の成長を後押しした
さらにスケボー文化の台頭は、科学技術の進歩によっても後押しされました。
1950年代にポリウレタンの工業生産が開始され、70年代までにスケートボードの車輪は従来のスチール製からポリウレタン製へと取って代わられます。
ポリウレタン製の車輪はスチール製に比べてグリップ力とタフネスが格段に向上しており、高速でのターンを可能にしました。
またそれだけではありません。
80年代に携帯型のビデオカメラが普及したことで、スケートボードの撮影と拡散が容易になり、アメリカを超えて世界中で人気を博すようになったのです。
このようにスケボー文化の爆発的人気は、背景に根強いサーフィン文化があったこと、干ばつによる節水、腎臓型プールの普及などの要因によって促されました。
研究主任のウルフ・ブントゲン(Ulf Büntgen)氏は「だからこそ、すべての条件が揃った70年代の南カリフォルニア以外では起こり得なかったのです」と話しています。
また同氏は「気候変動は常に懸念すべき問題ではありますが、私たちの研究は、局地的な気候変動が人間社会や文化に予期せぬ影響を与える可能性があり、すべての面でネガティブなものではないことが示されました」と述べています。
スケートボードは今やオリンピックの正式種目にまでなっていますが、もし70年代にカリフォルニアで干ばつが起きていなければ、日本史上最年少のオリンピック金メダリストは誕生していなかったかもしれません。