支離滅裂なルイセンコの主張
ルイセンコはウクライナの農村出身の農学者です。
ルイセンコはキエフ園芸専門学校(現在のウクライナ国立生命環境科学大学)を卒業後、植物学の研究所でしがない研究員をしていました。
そんな彼が歴史の表舞台に立つのは、「春化処理」という農法を生み出したと主張した1928年です。
一般的なコムギは秋に播いて夏に収穫するというプロセスを取っており、これとは別で春に播いて夏に収穫する春播きのコムギもあります。
世界的には秋播きのコムギが主流ですが、秋播きのコムギはあまりにも冬が寒すぎる地域では栽培することが難しく、それ故ソ連では春播きのコムギが望まれていたのです。
ルイセンコは秋に播かれるコムギを低温に晒す春化処理をすることで、後天的に秋播きのコムギを春播きのコムギにすることができると主張したのです。
この農業技法は、当時の社会において重要な役割を果たしました。
1930年代初頭のソ連は大規模な飢饉に見舞われ、効率的な増産が求められていたのです。
その為ルイセンコの「秋播きのコムギを春播きのコムギに変えることのできる」という主張は、当時のソ連社会にとってとても有益なものだったのです。
またルイセンコはこの技術によって後天的な操作によっても遺伝的性質が変化すると主張し、進化論を否定しました。
秋播きのコムギと春播きのコムギは違う種類の植物であり、低温処理をしたところで種類が変わるわけではありません。
春化はあくまでコムギの環境の変化の適応能力を活かしただけであり、コムギそのものが持っていた性質が変わったわけではないのです。
その為現在ではルイセンコの主張は完全に否定されています。