再現された昭和の学校給食の一例 左上から時計回りに、瓶入りの牛乳、みつまめ、ポテトサラダ、鯨の竜田揚げと千切りキャベツ、きな粉をまぶした揚げパン
再現された昭和の学校給食の一例 左上から時計回りに、瓶入りの牛乳、みつまめ、ポテトサラダ、鯨の竜田揚げと千切りキャベツ、きな粉をまぶした揚げパン / credit:wikipedia
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小学校の隠れた主役!学校給食はいつ誕生したのか?

2024.03.24 Sunday

小学校時代、給食が楽しみで学校に通っていた人も多いと思います。

そんな学校給食ですが、果たしていつ誕生したのでしょうか?

本記事では給食が日本においていつ頃から始まったのかについて紹介しつつ、それぞれの時代でどのような役割を持っていたのかについて取り上げていきます。

なおこの研究は旭川大学短期大学部紀要51号p. 25-39に詳細が書かれています。

旭川市立大学リポジトリ (nii.ac.jp) https://aulib.repo.nii.ac.jp/records/993

最初の給食はおにぎりと煮物と干物

最初期の給食、とてもシンプルであった
最初期の給食、とてもシンプルであった / Credit:埼玉県学校給食会

日本国内における最初の学校給食は、1889年に山形県西田川郡鶴岡町(現在の鶴岡市)の大督寺内にあった忠愛小学校で始まったとされます。

当初の目的は、貧困家庭の子どもたちを支援することであり、費用は地域の僧侶の寄付によって賄われたのです。

献立はシンプルで、白米の握り飯2つ煮浸し(青菜漬けの塩出しをしたものに大豆などを加えた煮物)塩魚の干物などだったのです。

やがて時代が進んで大正時代になると、義務教育の普及に伴って、従来では学校に通うことのなかった貧しい子どもたちも学校に通うようになりました。

そのようなこともあって、貧しい子どもたちが食べるための給食需要がますます高まったのです。

1931年に満州事変が勃発して軍国主義の時代になると、児童の健康と体力の向上が更に重要視されるようになりました。

そのため、国庫補助による貧困児童支援の学校給食制度が1932年に導入されたのです

当時は大凶作や世界恐慌の影響で貧困が深刻化し、全国的に満足に食事を取ることのできない子供が増えたことが問題となっていました。

しかし児童全員に給食が支給されていたわけではなく、貧しい一部の子どもだけに給食が支給されており、それ故学校の現場では給食を支給している子どもたちが恥ずかしい思いをすることなく利用できるような配慮をしていました。

1941年には太平洋戦争に突入したことによって食糧不足はますます進み、国民学校と改称された小学校では食糧不足が深刻化していました

またただでさえ少ない給食が学童疎開や生活物資の統制によって中止されることもあり、子どもたちは常に空腹と戦っていたのです。

次ページ戦後の混乱期に復活するも、廃止の危機に見舞われた給食

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