書物の暗記と詩吟が受験科目として課されていた
それでは科挙の試験科目はどのようなものであったのでしょうか。
郷試・会試・殿試で難易度やボリュームは異なっていたものの、基本的には四書五経と詩題、策題という政治論文が課されていました。
四書五経は儒教の経書の中で特に重要とされる九つの文献のことであり、四書は論語、大学、中庸、孟子、五経は易経、書経、詩経、礼記、春秋です。
当時はこれらをマスターすることが、教養人への第一歩と考えられていました。
なお当時は四書を学んでから五経を学ぶことが一般的になっていたこともあり、科挙においても四書の方が基礎科目として重視されていました。
受験生はこの合計57万文字とも言われている四書五経を全て暗記した上で、そこに書かれていることをもとに小論文を書かなければなりませんでした。
詩題はその名の通り詩の詠むというものであり、受験生は詩の分野における知識と技術のうまさを求められました。
この詩題はオリジナリティよりも技巧がかなり求められており、後に中国を代表する詩人となる欧陽脩(おうようしゅう)も一度ミスで不合格になっています。
詩題も先述した四書五経と並び、身につけなければならない教養として扱われていました。
そのようなこともあって、科挙の合格者は中国における理想的な教養人としても扱われていたのです。
なお官僚の登用試験という扱いではあるものの、官僚になってから実務で使うであろう法律に関する科目はありませんでした。