科挙が中国に与えた影響
この科挙は中国において長い間続けられていたこともあり、様々な影響を中国社会に与えました。
特に詩の分野では当時の知識人たちが科挙の価値観を内面化していたこともあり、どんどん難解になっていったのです。
実際に北宋(960~1127)の時点でも詩人たちの詠む詩はかなり複雑なものになっており、同時代の人物でさえ注釈書がなければ詩の内容をまともに理解できませんでした。
また知識人は古典の詩をほとんど覚えていたということもあり、詩を詠む際に古典の詩の句をそのまま引用するということが多々ありました。
中には一つの詩の全てが古典の詩の句の引用ということもあり、古典の継ぎはぎの詩というのは決して珍しくなかったのです。
また知識人たちは自分の感情さえも古典の詩の引用や難解なテクニックを使ってしか表現できず、このようなこともあって中国の詩はどんどん現実の言語から乖離していき、近体詩というスタイルが中国の正統な詩形となりました。
「たかが試験制度」と言いますが、試験制度によってエリートの価値観が固定化され、文化にさえ大きな影響をおよぼしてしまうことを考えると、試験制度が後世に与える影響は計り知れないといえます。