VR世界のプラセボ「プロテウス効果」で痛みを緩和する
VR空間でアバターを使用すると、そのアバターの見た目に影響されて自身の行動や感覚が変わることがあります。
この現象は「プロテウス効果」と呼ばれており、例えば、魅力的なアバターを使うと、ユーザーは異性に対して自己開示が増えたり、対人距離が短くなったりすることが報告されています。
また、筋肉質なアバターを使うと、物体の重さを実際より軽く感じることがわかっています。
近年、プロテウス効果を活用したVR技術が、麻酔や薬品を使わない痛みのコントロール手段として注目されています。
特にVRは高い没入感を提供し、痛みの感覚から注意をそらすのに非常に効果的です。
例えば、VR体験が現実感を高めるほど、温熱による痛みが大幅に軽減されることがわかっています。
さらに、緊急治療室でVR療法と鎮痛剤を併用すると、痛みが大幅に軽減されるという研究結果もあります。
ただこうしたプロテウス効果が人の痛み軽減に与える影響の詳細は明らかになっていませんでした。
そこで筑波大学の研究者たちは、VR 空間内のアバターを用いた痛み実験により、プロテウス効果が人の痛み軽減に与える影響を調べることにしました。
調査にあたっては、筋肉質体型および通常体型のアバターが男女それぞれ用意され、合計4種類のアバターが実験に使用されました。
44人の実験参加者たちは、これらのアバターをVR空間で使用しました。
実験中、参加者の腕部に熱刺激を与え、痛みの感覚を測定しました。
その結果、VRのアバターを使用するだけで、痛みの感覚が平均17.241%減少することが判明しました。
また、アバターへの没入度が深いほど痛みを感じにくくなることも示されました。
さらに、筋肉質アバター(マッチョ)を使用した場合、通常体型アバターと比較して15.982%も痛みが軽減されることが明らかになりました。
一方で、性別による影響も観察されました。
女性参加者は、どのアバターを使用しても痛みが軽減されましたが、男性参加者は筋肉質のアバターを使用した場合にのみ、痛みの感覚が大幅に減少しました。
これまでの研究から、女性は男性よりも痛みに敏感で、同じ痛みでも強く感じることが多いことが示されています。
これは、女性の皮膚における神経線維の密度が高く、痛みの信号が強化されるためです。
具体的には、女性の顔の皮膚には1平方センチメートルあたり34本の神経線維が存在するのに対し、男性は17本しかありません。
このため、女性は痛みの感受性が高いとされています。
さらに、女性ホルモンのエストロゲンは痛みの感覚を敏感にし、男性ホルモンのテストステロンは痛みの感受性を低下させることが知られています。
しかし、面白いことに、女性は痛みの刺激に慣れやすく、場合によっては男性よりも痛みに対する感受性が低いこともあります。
研究者たちは、これらの生物学的要因に加えて、社会文化的要因も男女間の痛みの感じ方の違いに影響を与えている可能性があると述べています。
本研究の成果は、麻酔や薬品を用いない痛みコントロールの手段としてのVR技術の活用に具体的な知見をもたらしました。
これにより、痛みの管理におけるVRの可能性が一段と明確になり、医療分野における革新が期待されます。
またVR技術を活用することで、痛みの軽減だけでなく、患者のリハビリテーションの質を向上させることができるかもしれません。
例えば、外傷後のリハビリにおいて、痛みを感じることなく運動機能を回復するための訓練を提供できるかもしれません。
VRが単なる痛みの管理手段に留まらず、患者の心理的な回復を促進する新しいアプローチとなる可能性もあります。
たとえばリハビリにストーリーを組み込み「手足の不自由を奪われた英雄が、必死の努力で機能を回復させる話」とすることで、患者のモチベーションを高めることもできるかもしれません。
(※人気作品の続編ではしばしば、主人公が思いもよらない不遇に陥っている状況からスタートすることが知られています)
今後、VR技術は医療の現場で欠かせないツールとなり、痛みの管理から感覚の再教育、そして心理的な回復に至るまで、患者の生活をより良いものにしてくれるでしょう。