「集中できない」には2つの異なる症状がある
「集中力の欠如」は社会生活を送る上で、不利になる場面が多く、問題にされることの多い症状です。
近年この「集中力の欠如」において、よくやり玉にあがるのがADHDです。
ADHD(注意欠如・多動症)は主に、不注意・多動性・衝動性の3つを特徴とする発達障害で、現在は成人期になってADHDと診断されるケースが多くなっています。
成人のADHDは、子供に見られるような多動性と衝動性は目立ちにくくなり、不注意の色合いが強くなるため、私生活での物忘れや遅刻、仕事中のうっかりミスや先延ばしが多くなります。
そのため集中力がない人は、とりあえず「ADHDなんじゃない?」と言われがちで、当人も「自分はADHD傾向があるのかな」と考えてしまいがちです。
しかし、集中力の欠如にはADHDと似ているようでまるで異なる別の症状があるのです。
それがCDS(認知的離脱症候群)です。
ADHDとCDSはどちらも「集中力がない」と言われてしまう点は同じなのですが、大きな違いがあります。
それはADHDには集中力を発揮する力があるのに対し、CDSはそもそも集中力を発揮すること自体が難しくなっている点です。
ADHDの人には何かに強く集中する力があります。
ところが多動性や衝動性の問題から、興味の対象が他へ移りやすく、すぐ他のことが気になってしまうため、結果として注意散漫になって集中力が欠如した状態になってしまうのです。
なので集中力自体は常人よりも遥かに高い場合も多く、自分の好きなものであれば、集中力が不安定になるどころか、寝食を忘れて何時間でも没頭することがあります。
対照的に、CDSの人は何らかの異常で、本来脳に備わっているはずの認知能力や処理速度が低下しています。
処理速度が遅いということは、情報を取り込んで理解し、応答するのに時間がかかることを意味します。
これはCDSが以前まで「鈍い認知テンポ(Sluggish Cognitive Tempo:SCT)」と呼ばれていたことからもよくわかります。
CDSの人は周りの人々に比べて、話の理解や情報の処理速度のテンポが遅いので、今問題となっていることについて行けないことが多々あります。
そうするとどうなるでしょうか?
話について行けないので、話を聞くことを放棄してしまい、自分の中だけで空想を楽しみ始めたり、一点見つめたままボーっとしてしまうのです。
このように、認知行動に追いつけなくなって離脱してしまうことから、現在この症状はCDS(認知的離脱症候群)と呼ばれるようになっています。
そしてCDSを持つ人たちもまた、日常生活の質や学業成績の低下、社会的交流において大きな困難に直面しやすくなっています。
さらにCDSが深刻な場合だと、活動力も低下し、何事にも無関心になって、引きこもりになるリスクもあるという。
社会生活を送る上では、ADHDとCDSはよく似た不利な特性があります。そのため混同されやすい面を持ちますが、症状としてはまるで異なります。
CDSにはADHDのように、自分の好きなことには過度な集中力を発揮できるということもないのです。