一度壊滅しかけるも、マリンスポーツとして復興
そんなサーフィンですが、18世紀末に本格的に洋人がハワイ諸島に押し寄せると、冬の時代を迎えます。
島にやってきた宣教師たちは、サーフィンを「野蛮なもの」であると禁止し、サーフボートを取り上げて焼き払ってしました。
またハワイの人々は西洋人の持ち込んだ新しい宗教によって原初的な信仰を失い、それと密接なつながりをもっていたサーフィンに対する関心を徐々に失っていったのです。
それでもレクリエーションとしてのサーフィンは残っており、サーフィンはハワイの人々の間で娯楽として細々と続けられていました。
しかし20世紀初頭になると風向きが変わります。
ハワイ諸島の観光開発が進んだことにより、サーフィンがアメリカ本土の人々に伝わったのです。
これによりサーフィンは様々な人の注目を引くようになり、スポーツとして再スタートすることになったのです。
しかし当時のサーフィンはサーフクラブに入会し、そこで保管されているサーフボードを貸し出して行うというスタイルでした。
そのようなこともあってサーフィン文化は非常に排他的になっており、サーファー人口はあまり増えなかったとのことです。
しかし水泳選手のデューク・カハナモクをはじめとするハワイの人々が、サーフィンの振興を行っていったこともあり、その努力もあってサーファー人口は徐々に増えていきました。
その後サーフィンは世界中に広がっていき、1960年代後半には世界中でサーフィンが行われるようになりました。
日本でも第二次世界大戦後に駐留していたアメリカ軍兵士が湘南海岸などでサーフィンをしており、それが日本によるサーフィンの発祥の一つであるといわれています。
そして2020年東京オリンピックではサーフィンが正式な競技の一つとして採用され、世界中から注目される大舞台で多くのサーファーが自身のテクニックを披露したのです。
サーフィンを行う際には、古代ポリネシアの人々に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。