35年の生涯で600曲以上を作った天才
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(※)は1756年1月27日にオーストリアのザルツブルグに生まれ、1791年12月5日に35歳の若さで亡くなった音楽家です。
(※ モーツァルトは名字ですが、以後わかりやすさを優先して、ヴォルフガングのことは「モーツァルト」と表記します)
モーツァルトは7番目の末っ子として生まれましたが、他の5人は幼児期に死亡しており、ただ一人、5歳上の姉マリーア・アンナ(愛称ナンネル)だけがいました。
父・レオポルドは息子が天才であることを見出し、幼い頃から音楽の英才教育を施します。
3歳の頃にはチェンバロを弾き始め、5歳時にはすでに作曲も手がけるようになりました。
モーツァルトは父に連れられてウィーンやパリ、ロンドンへと何度も演奏旅行に出向き、演奏を披露しています。
モーツァルト少年はまさに「神童」の名にふさわしく、息をするように作曲を続け、35年という短い生涯の間に延べ600曲以上の楽曲をこの世に生み出しました。
その膨大な数の楽曲から、モーツァルトの全作品は年代順に整理して番号を振った「ケッヘル目録」として整理されています。
この番号は「ケッヘル番号」と呼ばれ、KまたはKVで表記されます。
例えば、世界的に有名な『フィガロの結婚』は「K.492」です。
神童時代の未発表曲を発見!
国際モーツァルテウム財団は昨年、ドイツのライプツィヒ市立図書館にて、モーツァルトの楽曲の完全なアーカイブであるケッヘル目録の最新版を編集していた際に、未発表の楽曲が記された譜面を発見しました。
この譜面自体はモーツァルト本人の手によるものではなく、1780年頃に作成された写本と見られています。
同財団のウルリッヒ・ライジンガー氏が中心となって調査を進めた結果、この譜面はモーツァルトの神童時代にあたる1760年代半ばから後半のどこかで書かれたものと判明しました。
その根拠となったのは、作曲者の署名欄に「ヴォルフガング・モーツァルト」と記されていたことです。
実はモーツァルトがミドルネームの「アマデウス」を使い始めるのは、1769年に初めてイタリアを訪問した後になります。
それまではミドルネームのない「ヴォルフガング・モーツァルト」を使っていました。
実際の譜面の画像はこちらからご覧いただけます。
この点を踏まえると、新たに発見された楽曲が作成されたのはモーツァルトが少なくとも13歳以前のことになります。
一部報道では「モーツァルトが9歳頃に作曲したもの」とも報じられました。
では、現代に蘇ったモーツァルトの失われた名曲を聴いてみましょう。