続々と様々な果物が入ってきた日本列島

果物という存在は、今の日本において、どこか異国情緒を感じさせます。
縄文や平安の影にひっそり隠れていた日本原産の果実は、シバグリ改良の栗や柿程度に留まり、実にごく僅か。
そのほかの果実は、いわば海外からやって来た輸入の使者たちです。
桃が縄文時代、梨が弥生時代に中国大陸より伝わっており、これらの果物は先史時代の人々に親しまれていました。
江戸前期の農学者・宮崎安貞が1697年に刊行した『農業全書』には、梨や栗、桃などといった全17品目が、見事な挿絵とともに記され、果物の栽培法や保存法、さらには薬効に至るまで、その多彩な利用法が綴られているのです。
実に、当時の果物は、乾燥や加熱処理、砂糖漬などの手法を経た後に食され、薬としての一面も持っていました。