小さくて酸っぱかった江戸時代の桃

一方、江戸時代の桃はまた別の顔を持っていました。
江戸末期から明治初頭にかけて栽培された在来種の桃は、現代でお馴染みの水蜜桃とはまるで別物。
果実の重さはわずか20~75グラム、まるでビワの実のような小ぶりなもので、肉質は堅く、酸味が際立つという、いわば「素朴な桃」ともいえる存在でした。
1915年発行の恩田徹彌の『果樹栽培史』によれば、これら在来種は、欧米や中国から輸入された華やかな桃に比べると、品質面で劣るとの評価がなされているのです。
しかも、宮崎安貞の『農業全書』(1697年発行)に記された桃の栽培法や品種の紹介は、すでに江戸の人々が桃という果実に、単なる点心以上の意味を見出していたことを物語っています。
古くは「和名類聚抄」に名前を連ねながらも、実際に朝廷への献上品とはならなかった桃は、室町時代以降、点心として庶民に愛されるに至ったという経緯があるのです。
さらに、「本草図譜」に記された「水蜜桃」は、実が約12センチという大振りなもので、たっぷりとした汁気が特徴。
江戸国内ではその栽培実績は微々たるものの、海外の品種としてその存在が知られていたというのは、まるで夢物語のような奇抜さを感じさせます。
さて、これら二つの果実は、江戸の風土と人々の生活に深く根差しておりました。
暑い夏、町角や川辺で味わう水菓子は、ただ水分補給のためだけではなく、視覚的な涼しさや、上品な味わいへの憧憬の象徴であったのです。
また桃はその小さくも個性豊かな実で時には苦味や酸味を帯びながらも、江戸の人々にとっては希少な贅沢であり、点心としての側面から一種の季節感を演出していたのです。
こうして、江戸の夏と秋、そして果物たちが織りなす物語は、現代の私たちに、ただの懐古趣味を超えた、あの日の粋な情緒と、時折露わになる人情の温かさを、そっと伝えてくれているかのように思えます。