なぜ大事故は起こってしまったのか?
事件が起きたのは1814年10月17日(月曜日)のこと。
ロンドン・ウェストミンスター市にあるセント・ジャイルズ教区に、1764年から続くビール工場がありました。
ここは「ホース・シュー醸造所(Horse Shoe Brewery)」と呼ばれており、セント・ジャイルス貧民街に建っていて、従業員やその家族が地下室で起居していました。
1809年からは「ヘンリー・ミュー社(Henry Meux & Co)」として、ロンドン・ポーターというダークブラウン色のビールの主要な生産所となっています。
ポーターは18世紀に開発され、焙煎した茶色麦芽を用いて醸造することで、焦がした麦芽の芳香とホップの苦さが味わえるビールです。
醸造所にはビールを発酵させるための巨大な樽があり、高さは約6.7メートルに達しました。
正確な数字はわかりませんが、樽の中では最大7500バレル(1バレル=約159リットルなので、全部で約120万リットル)のビールが醸造されていたといいます。
その日の午後4時30分頃、醸造所の従業員であるジョージ・クリックはビールの入った大樽を検査していました。
すると樽を固定しておくための箍(たが)の一つが外れて落ちていることに気づきます。
樽は木の板を何枚も組み合わせて作っており、その木材同士を固定しておくための鉄のリングが箍(たが)です。
大樽も巨大な分、箍(たが)も非常に大きく、1個でなんと317キロの重量がありました。
しかし醸造所で17年間働いてきたクリックにとって、それはあまり珍しいことではありませんでした。
年に2〜3回は樽から箍(たが)が外れていることがあったので、そこまで気にかけなかったのです。
醸造所の責任者にそのことを報告しても「後日修理を頼めば問題なかろう」と指示されたので、クリックは箍(たが)を外したまま放置し、修理依頼の手紙を書き始めます。
大事故が起きたのはその直後のことでした…