古代中国で知られていた鴆毒は鳥の羽から作られた
古代中国で知られていた鴆毒は鳥の羽から作られた / Credit:Created with Canva/ドリームラボ
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【中国伝説の鴆(ちん)毒か?】羽に猛毒を持つ小鳥が実在する!

2025.03.09 13:00:27 Sunday

古代中国から語り継がれる毒殺用の猛毒があります。その名前は鴆(ちん)毒

古代から現代に至るまで「鴆」が鳥だということしかわからないままの伝説になっていました。毒は羽に含まれ、その羽を1枚、酒の中に入れるだけで猛毒の酒を作り出し、飲んだ人はその場で苦しんで死ぬというものです。

羽に毒のある鳥。しかし鴆を見たことのある人はなく、次第に「羽に毒のある鳥なんているわけないじゃん」となっていきました。

以来、その毒鳥「鴆」と鴆毒は伝説として語り継がれはしたものの、鴆毒=猛毒という意味で使われるようになりました。

それが1990年になって、羽に猛毒を持つ鳥が見つかったのです。

鴆鳥-実在から伝説へ(1994年) https://square.umin.ac.jp/mayanagi/paper01/chincho.html 医薬品情報21 鴆(チン)の毒性 http://www.drugsinfo.jp/2007/12/05-174745
ニューギニアの鳥類よりバトラコトキシン類の有毒アルカロイド発見 : 鴆(ちん)毒も実在した?(1993年) https://doi.org/10.14894/faruawpsj.29.10_1144

古代中国の毒殺用の猛毒、鴆毒は毒鳥の羽で作られる

その鳥が最初に発見されたのは1830年。ニューギニアで見つかりました。その時は知られていない鳥が見つかっただけで、があるとはわかりませんでした。

この鳥の名はズグロモリモズ。「ピットフーイ」と聞こえる二音節に近い鳴き声から、Pitohui属(モリモズ属)と名付けられました。美味しくないため先住民は食べない鳥だそうです。

それから160年後の1990年のこと、シカゴ大学でズグロモリモズの標本を触っていたダンバッチャー博士の両手に痺れが起き、皮膚に火傷の症状が見られたため調査した結果、触っていた標本の鳥が「羽に毒を持っている」という、とんでもないことがわかりました。

標本を触っているだけで痺れと火傷の症状が出た
標本を触っているだけで痺れと火傷の症状が出た / Credit: Wikimedia Commons

初めて発見された毒鳥。博士は『サイエンス』誌(1992年10月30日号)で報告。その号の表紙はズグロモリモズと、ズグロモリモズに擬態した鳥のイラストで飾られたのです。

これは驚くべき発表でしたが、当時、インターネットで「羽に毒を持つ鳥が見つかる」と小さなニュースになり、鳥や生物が好きな人、毒に興味を持っている人には刺さりました。

この時、「これって鴆では」とピンときた人々がいたことも事実です。しかしまだSNSがなかったこととマニアックな内容だったことで人々の話題には上らず、大ニュースとはならないまま終わりました。

鴆毒は中国伝説の猛毒で、毒殺に用いられたものとして知られます。

そして伝説となった時代でもレアな毒で、実際に知る人が当時から少ないものでした。毒殺とはイコール暗殺のこと。「毒を飲んで死ぬことを命ずる」というような、裁判による公然とした刑罰では使われませんでした。

古代中国で皇帝が大臣を暗殺しようとした話も伝わる
古代中国で皇帝が大臣を暗殺しようとした話も伝わる / Credit:Created with Canva/ドリームラボ

そのため鴆毒には恐ろしい、陰惨なイメージがつきまとうこととなったのです。

鴆毒は鴆という鳥の羽を1枚、酒に浸したもの」で、羽を浸した酒は無味無臭の毒が溶け出し「猛毒となる」ということ以外の情報がほとんどありませんでした。

また、明らかに入手しにくそうな毒でもありました。鴆という鳥の存在もよくわかっていないうえ、鴆や鴆毒を揚子江の北側地域に持ちこんではならないという法律があったからです。

鴆は中国の南方、現代だとベトナムや広東、広西チワン族自治区あたりに棲息していた鳥だったようです。あまりに危険過ぎるため、鴆毒は帝の毒物倉庫で厳重に管理されているだけのようでした。

宗の帝も鴆の駆除には熱心だったようで、当時、毒殺がどれほど恐れられたかを伺い知ることができます。駆除の結果、鴆はいなくなったようで、鴆毒も使われなくなったことにより、文献にも登場しなくなりました。

「だったようだ」が多すぎたんですね。情報はほぼ伝聞でした。

もうひとつ、中国では毒も薬になるものは『神農本草経』に掲載され、その後も改定で見直されていました。

神農本草経を著したという古代中国の伝承に登場する皇帝「神農」は人々に薬と農耕を教えたとされる
神農本草経を著したという古代中国の伝承に登場する皇帝「神農」は人々に薬と農耕を教えたとされる / Credit: Wikimedia Commons

そんな中で4大毒ともいえる「鴆毒・冶葛(やかつ)・烏頭(うず)・附子(ぶす)」の中で、鴆毒だけは蛇除け効果があるだけで薬にはなっていないため「有名無用」とされています。

毒にしかならないものは薬の本には載りません。ちょっと意外な感じも受けますが、「薬効があるなら毒でも薬として載る」んですね。鴆毒は毒にしかならなかった。そのため、中国では余計にリアリティを失っていった可能性はあります。

神農本草経には毒でも薬効があれば薬として掲載された
神農本草経には毒でも薬効があれば薬として掲載された / Credit: Wikimedia Commons

中国に伝わる仙人のためのガイドブックとも言われる『山海経』は、各地の土地の特徴や奇妙な生物が満載の書です。この中に鴆の絵が一枚出てきますが、様々な生物がすべて空想上の生き物風なため、鴆も尚更「作り話感」が溢れるものになっていったのでしょう。

『山海経』にちらりと登場する鴆の絵
『山海経』にちらりと登場する鴆の絵 / Credit: Wikimedia Commons

そうして伝聞に伝聞を重ねた結果、単に「猛毒」のことを鴆毒と呼ぶようになっていきました。本家中国でも、鴆毒はファンタジーということになっていったのです。

そんな中で、鴆をつかまえたという話が『晋書』に伝わります。

石崇という人が官僚として南中に派遣されたとき、鴆の雛を手に入れた。これを後軍将軍の王愷に与えたが、鴆を揚子江の北側地域に持ちこんではならないという法律があったため摘発され、鴆は街中で焼かれた、という話。

もうひとつあります。飛督の王饒という人が穆帝に鴆を献上したが、帝は怒り、王饒を二百のむち打ち刑にし、殿中御史に命じて鴆を四つ角で焼かせた、という話です。

どちらも鴆を揚子江以北へ持ち込んだことで法に触れ、帝の怒りを買っているのですが、妙にリアリティがありますよね。法に触れたことで帝が激怒するというのは担当官僚の頭を飛び越えていて、鴆の存在感があり、作り話感も薄いと感じます。

しかも1羽の鳥を破棄するのではなく「街中や四つ角で焼いた」というのは見せしめ感満載です。鴆はそれほど危険視されていたということでしょう。

帝に献上するということは、かなり珍しく貴重な鳥だっただろうということが伺えるだけでなく、鴆は実在したと信じたくなるエピソード。

ちなみに、中国の古い文献から浮彫りになってくる鴆の特徴には「毒を作るために使われた」「棲息するのは中国南方で、ベトナムから広東、広西チワン族自治区あたり」「二音節に聞こえる特徴のある鳴き声」「皮膚や羽に毒がある」「肉は生臭くて美味しくない」「羽の毒は酒によく溶ける」「蛇は鴆を襲わない

その鴆のような羽に毒を持つ鳥がニューギニアにいることがわかったのです。シカゴ大学でこれを見つけたのが中国人研究者だったら、すぐさま「これは鴆では」とピンと来たのかもしれません。

珍奇で妖怪じみた生き物が満載の書物に載ったことでさらにリアリティが薄れたと思われる鴆
珍奇で妖怪じみた生き物が満載の書物に載ったことでさらにリアリティが薄れたと思われる鴆 / Credit: Wikimedia Commons

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