なぜ、アメリカではこうした制度が成立してしまったのか?
1つはの要因は、アメリカが多様な利害と文化を前提とする「連邦国家」だということです。
アメリカは50の州が集まってできた「合衆国」であり、それぞれの州が独自の文化・歴史・法律を持っています。人種、宗教、経済構造も州ごとに大きく異なります。
そのため、国全体で「共通の民意」を形成することが難しく、制度的に「地域代表」や「州の自立」を優先せざるを得ない構造になりました。
大統領選における「選挙人制度」も、各州が選挙制度を管理できる仕組み(ゲリマインダーの温床)も、上院のような「人口ではなく州単位で代表を出す」制度も、一票の平等を犠牲にしてでも“州ごとのバランス”を取るために生まれた仕組みだと言えます。
これは「多様性を守る仕組み」である一方で、「多数派の民意が届きにくくなる仕組み」でもあるのです。
またアメリカでは、政治資金(たとえば企業や団体による献金や広告出稿)を「言論の一形態」として保護する憲法判断がなされてきました。
特に2010年の【シチズンズ・ユナイテッド判決】では、「企業や団体が選挙活動に無制限の資金を提供すること」を合法と認め、ロビイストや巨大資金による選挙影響力が一気に拡大しました。
これは、「政治を金で買える土壌」が制度的に守られるようになったことを意味します。
さらにアメリカでは自由主義・個人主義の伝統が強く、国がすべての人に平等なサービスを提供するより、「努力した者が報われる」構造を重視してきました。
つまり、社会保障に対する“思想的な拒否反応”があるのです。
本来、医療や教育、年金などの社会保障制度は、資本主義社会が生み出す格差や貧困の再生産を防ぐための調整装置として導入されてきたものです。言い換えれば、社会保障は資本主義の内部に設けられた「共産主義的な要素」であり、競争社会の中で最低限の平等を担保するための仕組みでもあります。
なので、ざっくり言ってしまえば社会保障を厚くすればその国の共産主義傾向は高くなり、社会保障を弱めれば共産主義傾向は低くなると言えます。
そのためアメリカでは、国家の介入を極力避けるという自由主義思想が根強く、「所得を再分配する」あるいは「政府が市民の生活に関わる」ことに対して、保守層を中心に“社会主義的だ”という警戒感が今も存在しています。特に冷戦期の記憶が強く残る世代では、「福祉国家=自由の侵害」「社会保障=ソ連型の国家統制」と結びつけて語られることすらあります。
その結果、たとえ多くの国民が福祉の拡充を望んでいても、それが「民意」として制度に反映されにくいのです。民意を受け止める制度の“回路”自体が、思想的・制度的に閉ざされてしまっている。これがアメリカ政治の深刻な矛盾であり、投票率が高くても政治が機能不全に陥る一因だと言えるでしょう。