30年前の「小さな希望」が、未来へとつながるまで
話の始まりは1990年代初頭にさかのぼります。
米オレゴン州に住んでいた女性のリンダ・アーチャードさんは、6年間にわたる不妊治療の末、体外受精(IVF)に望みを託しました。
当時はまだ珍しかった医療技術に、不安を抱きながらも挑戦したのです。

そして1994年5月、4つの受精卵が作られました。
そのうち1つを子宮に戻した結果、健康な女の子が誕生しています。
しかし残る3つの胚は、液体窒素のタンクの中で冷凍保存されることになりました。
リンダさんはこの胚を「私の3つの小さな希望」と呼び、将来また子どもを持つ夢を託していました。
当時の夫との離婚後も胚の保管権を得て、30年間にわたり年間1000ドル近い保管費用を支払い続けたといいます。
ですが、どんどん高齢に差し掛かっていく中で、リンダさんは悩み始めます。
「自分がこの胚を使う可能性はどんどん低くなっていく。廃棄することも、研究目的に提供することもしたくない」
「それは私のDNAであり、すでに生まれた娘のきょうだいなのだから」と。
そんなとき彼女が知ったのが、キリスト教系の団体が提供する「胚の養子縁組」制度でした。