「光の液体」でできた時空とブラックホールが誕生

研究チームはポラリトンという粒子を集めて作る「光の液体」を用いて実験を行いました。
「光の液体」の作り方は、光を二枚の鏡のあいだに閉じこめ、そこへレーザーを当てるというものです。
すると光の粒(光子)は薄い膜をつくる結晶の中で起きている微細な“揺れ”と腕を組み、一種のハイブリッド粒子に変わります。
イメージとしては、光が結晶そのものの小刻みな振動に巻き込まれて生まれた“光のあわ粒”とでも呼べる存在です。
光の液体「ポラリトン」とは何か?
小さな鏡を向かい合わせにして、そのすき間にごく薄い結晶の膜をはさみ、そこへレーザー光を閉じこめると、光の粒は逃げ場をなくして何度も反射しながら膜の中で震えるリズムと出会います。
取り出すとただの光ですが、この結晶間を反射し続ける光は結晶の持つ振動の要素を取り込み量子的には光と結晶の両方を併せ持つ性質を持つようになります。
具体的には、このとき光は単なるエネルギーの波ではなく、結晶の揺れがもつ“重さ”や“押し合いへし合い”の性質をも取り込んだハイブリッド粒子—ポラリトン—として振る舞います。
光そのものと結晶のリズムが腕を組んでできた“光のあわ粒”と呼べる存在とも言えるでしょう。
普通の光はまっすぐ飛び去りますが、あわ粒になった光は仲間どうしで押し合いへし合いを始め、シロップのように滑らかな流れをつくり、水や空気と同じように波や渦を立てる「液体」として振る舞います。
しかし先に述べたように、この不思議な姿は、鏡と薄膜から成る“小劇場”の中だけで上演される特別な演目で、空洞を開放すると光子と結晶振動の結合が断たれるため、ポラリトンは分解され、光は再び通常の光子として空間に飛び去ります。
つまりポラリトンとは、舞台の上では光と物質の性質を半分ずつ受け継ぎ、光でありながら液体のように集団で動く――そんな新しい“新しいハイブリッド粒子”なのです。
(※より詳しくは、ポラリトンは半導体中の電子と正孔(対になった粒子で「励起子」と呼ばれる)と光子が強く結合して生まれるハイブリッド粒子で、二枚の鏡でできた微小な空洞(マイクロキャビティ)に光を閉じ込めることで作り出されます。)
またこの光の液体(ポラリトン)は、水面に波が立つのと同じ理屈で揺らぎ(量子の波)を生み、まるで摩擦のない量子液体のように光が流れる性質を示します。
また流れの速度を場所によって変えると、ゆっくり流れる領域と一気に加速する領域に別けることが可能です。
そして驚くべきことに、この光の液体にはまるでブラックホールのような性質を与えることが可能なのです。
たとえばレーザーの当て方を変え、流れの一部だけを急激に速くすると、川に滝の縁ができるのと同じで、“ゆっくり流れる上流”と“ものすごい勢いで下る下流”の境目が生まれます。
上流では波が遡って戻ることができますが、一度その境目を越えて下流に入ると、波の進む速度より川の流れのほうが速いため、もう上流へは戻れません。
この一方通行の境目が、ブラックホールで言う「事象の地平面」にそっくりなのです。
さらに、真空でも一瞬だけ生まれては消える粒子のペアがあるように、光の液体でも量子的な揺らぎから小さな波のペアが生まれます。
(※光の地平線付近では理論上、量子真空ゆらぎから波のペアが生まれ、一方が内側へ、他方が外側へ分離すると考えられます。今回の実験では自然に湧いたペアそのものではなく、弱い探査レーザーで波を刺激し、その片割れとして負のエネルギー波を検出しましたが、ペア分離というホーキング放射の要となる機構を実験的に裏づけた点が重要です。)
境目の上流側に残った波は観測者が“見る”ことができ、下流側に取り残された相方は滝つぼへ落ち込むように流れに飲み込まれます。
その結果、外からは「境目から何かが放たれている」ように見える――これがホーキング放射をまねた現象です。
つまり、光の液体でブラックホールのような状態を作れる要点は、光そのものを“流れ”に変え、その速さを人為的にコントロールして、波が戻れなくなる滝の縁を実験室に描ける点にあります。
光と結晶の揺れが協力して生んだ“光のあわ粒”は、重力ではなく“流れの速さ”を使って、宇宙でしか起きないはずの地平面をテーブルの上に縮小コピーしてくれるのです。
研究チームはレーザーを使ってこのポラリトン流体を作り出し、その流れる速度に空間的な勾配(傾き)を持たせることで、流体の中に亜音速から超音速へと速度が変化する領域を作りました。
ちょうど川の流れが急に早くなる場所に波の地平面ができるように、ポラリトンの光の液体の中にも「光の地平面」とも言うべき境界が形成されたのです。
この地平面の性質を調べるために、研究者たちは最新の分光技術で光の液体に潜む微小な波をすくい取り、エネルギーの分布を精密に測定しました。
その結果、地平面の内側では通常は存在しないはずの“負のエネルギー”をもつ波がくっきり現れていることを確認しました。
この負のエネルギーの波は、地平面を挟んで生成された粒子ペアの一方に相当し、本来のホーキング放射で言うところの「ブラックホールで言えば内部側に落ち込むパートナー粒子」を表しています。
つまり研究チームは、ブラックホールのホーキング放射に例えられる現象の“第一声”を、実験室で初めてはっきり聞き取ったのです。
負のエネルギーを持つ波とは何か?
ここで言う“負のエネルギーをもつ波”とは、ポラリトン流体の中で揺らぐ波の一種で、観測者が立っている実験室(静止した基準)から見ると、エネルギーの符号が逆向きに数えられるという特殊な性質をもっています。一見すると普通のさざ波と変わらないのに、流れの速い川でボートをこいだときのように、進む向きとエネルギーの向きが食い違っている波とも言えます。
ポラリトンという光の粒が作る川では、流れが遅い上流では波はプラスのエネルギーを背負って下流へ進みますが、川幅が急に狭まり猛烈な急流になる「地平面」の内側に入ると、川の速さが波の走る速さを追い越してしまいます。その結果、波は見かけ上、川からエネルギーを抜き取る借金取りのように振る舞い、外から測るとマイナス符号のエネルギーを持った波として観測されます。実際、もしこの借金波が、上流からやって来る貯金をもった波とぶつかれば、両者のエネルギーは差し引きで相殺され、貯金側の波は勢いを削がれて小さくなるか、条件がそろえば完全に消えてしまいます。つまり負のエネルギー波は、エネルギーの帳尻を合わせる“赤字担当”として、ホーキング放射やブラックホール周辺で起こる吸収や増幅の仕組みを支える影の主役なのです。
同様の性質は先ほどのホーキング放射で説明したように本物のブラックホールでもみられます。ブラックホールのまわりでは空間だけでなく時間まで強くゆがみます。地平面をほんのわずかでも越えると、その坂はあまりに急で、どんな物質や光も外向きに進もうとするより速く内向きに流れる“時の川”に押し戻され、未来へ進むこととブラックホールの中心へ落ち込むことが同義になります。そして内側へ落ち込んだ粒子が負の符号をもったエネルギーを持つことになります。光の液体の場合も、光の地平面を超えた波は負のエネルギーを持つという点は、本物のブラックホールの負のエネルギーを持つ粒子はよく似た現象と考えられています。
この結果は、光の液体において地平面が確かに形成されたことを示す明確な証拠です。
さらに先に述べたように研究チームは、この人工地平面の性質を自在に変えることにも成功しました。
地平面をなす流速変化の勾配をゆるやかにして「滑らかな地平面」を作った場合と、急峻に変化させて「急な地平面」を作った場合とで、そこで観測される放射の特徴が異なることを突き止めたのです。
流れの速さとホーキング放射の勢いの関係も再現できた
理論の上では「勾配が急=地平面が鋭い」ほどホーキング放射は勢いよく出ると考えられています。理由は、放射の熱さを決める“ホーキング温度”が地平面における流速の傾き、に比例するためで、川の流れで言えばなだらかな瀬よりも滝壺の縁のほうが水しぶきが激しくなるイメージに近いのです。
今回の実験でも、緩い勾配で作った滑らかな地平面では弱くて整った“熱的”な色分布が観測され、急峻な地平面では低い周波数側が大きく盛り上がる歪んだ分布が現れて「放射が強まりそうだ」という兆しが見えました。
ただし装置の感度が追いつかず、実際にどれだけ粒子が増えたかを数え切るところまでは至っていません。今後は検出器のノイズをさらに減らし、急峻ケースで漏れ出す粒子の総量とスペクトル形状を正確に測り、理論が示す“滝壺ほど熱く激しい”という予測を実験的に裏づけることが課題になります。
この違いは、ブラックホールの事象の地平面が緩やかな場合と急激な場合でホーキング放射の様子が変わることを示唆しており、理論的にも予測されていた現象です。
また興味深いことに、今回の光の液体では発生する波(粒子)の振る舞いを質量がない場合(音波のような振る舞い)だけでなく、有効的に質量を持つ粒子のように振る舞わせることも可能だと分かりました。
(※レーザーの強さを変えると、光の色の並びにできる“隙間”が出たり消えたり、この隙間は粒子が重さを持つサインとして見ることができるので、レーザーの強弱で粒子が重さを付けたり外したりできると分かったのです。)
これは他の物理系にはない独自の可変性であり、光の液体による時空シミュレーションの幅広さを示しています。