人々は決して「同じ世界」を見ていない
育った環境が目の初期設定を変えるのか?
謎を解明するために研究者たちはまず、まったく異なる環境で育った3つのグループを集めました。
一つ目のグループはイギリスとアメリカの大都市で育った人々です。
二つ目のグループはナミビアの地方都市(準都市的環境)で暮らす人々。
そして三つ目のグループは、ナミビア北部で伝統的な暮らしを続けるヒンバ族の村人たちです。
この3つのグループに共通して、ある特別な「錯視」の図を見せました。
錯視というのは、目の錯覚を利用して同じ絵でも見る人によって全然違うものに見える図のことです。
今回特に重要だったのが「コファー錯視(Coffer Illusion)」と呼ばれる画像でした。
この図は、一見すると多くの長方形が格子のように並んでいるだけの模様です。
しかし、じつはその中にたくさんの「円」も隠されています。
面白いことに、最初に何が見えるかは人によってかなり違ってくるのです。
結果ははっきりと分かれました。
イギリスとアメリカの都市部で育った人たちの97%は、「長方形がたくさん並んでいる」と最初に答えました。
彼らのほとんどが円に気づくのに時間がかかり、円が見えるまで苦労したといいます。
一方、ヒンバ族の村人たちはまったく逆で、96%がすぐに「円がたくさん見える」と答えました。
そのうちの半数は円しか認識できず、どれだけ長く図を見ても長方形には気づかなかったのです。
残りの半数は円のあとで「長方形も見える」と気づきましたが、最初に見える形はあくまで円だったのです。
興味深いのは、ナミビアの地方都市に住むグループの結果が、この両者の中間になったことです。
地方都市に住む人々の多くは最初に円を認識しましたが、しばらく見ているうちに長方形にも気づく傾向がありました。
つまり、都会的環境と伝統的な村落環境のちょうど真ん中に位置するような見え方を示したのです。
このように、育った環境によってまったく同じ図でも「見えるもの」が正反対になることが明らかになりました。
丸しか見えないどういう意味か?
ここで注意したいのは、「丸しか見えない」というのは、「長方形の模様がまったく認識できない」ということではなく、「まず最初に強く見える形が円である」という意味です。
つまり、都会の人にとって一瞬で認識できる「長方形」は、村の人にとっては「なかなか見えない、見えにくい模様」であり、逆に村の人にとって強く見える「円」は、都会の人にとっては「なかなか気づきにくい、あるいは後になってようやく見えてくる模様」だということです。ヒンバ族の参加者のうち半数近くは、長く見続けても「長方形」をまったく認識できず、「円しかない」と感じていたほどでした。彼らの視覚は普段から「曲線的な形」を強く認識するように慣れているため、錯視画像の中に埋め込まれた円が最初からくっきりと浮かび上がってしまい、長方形という別の見方が難しくなっていたのです。
つまり、「丸にしか見えない」とは、「脳がまず円を最初に強く認識してしまい、長方形は脳の中でかき消されてしまう状態」ということです。これは、「普段目にしている形状によって、脳が特定のパターンを優先的に選ぶようになる」という現象の一例と言えるでしょう。
研究者たちは、他にも数種類の錯視画像を使って調査を進めました。

その一つが「カフェウォール錯視(Café Wall Illusion)」と呼ばれるものです。
たとえば上の図はカフェウォール錯視の一種で、本来まったく平行な線が「階段状の市松模様」のせいで傾いて見える錯覚として知られています。
イギリス・米国の都市部の参加者とナミビアの準都市住民の大半(約9割以上)は「線が斜めにずれている」と即答しました。
ところが伝統的なヒンバ族の村人はその逆で、6割が「線はまっすぐで傾いていない」と答え、それらの人々は錯視自体をほとんど感じていませんでした。
おそらく普段から直線的な建物や道路に囲まれているかいないかが影響しているのかもしれません。
さらに、研究者たちは「ゲシュタルト補完」という種類の錯視でも実験を行いました。

ゲシュタルト補完というのは、一部が欠けている図形でも脳が自動的に全体像を補って「あるはずの形」を見てしまう現象です。
例えば、少しずつ欠けた円が3つ並んでいるだけなのに、脳は勝手にそこに四角や円、三角形があるように感じてしまいます。
この実験でも結果は明白に別れました。
イギリスやアメリカの参加者の93%はすぐに隠れた形を見つけ、最後まで図形が見いだせなかった人はわずか1%に過ぎませんでした。
しかしヒンバ族の村人ではすぐに隠れた画像に気付けたのは10%しかおらず、最後まで分からなかったひとは78%にも及びました。
これはヒンバ族の人々はバラバラのパーツだけを見続ける傾向強かったためだと考えられます。
つまり、同じものを見ても脳がどのように形をまとめるのか自体が育った環境に左右される可能性があるのです。
研究チームはこのような錯視画像を合計6種類使って実験しましたが、そのうち4種類で都市的環境と伝統的環境の間にはっきりした違いが見つかりました。
特にコファー錯視の結果がもっとも劇的で、ロンドン大学の心理学者ジュールズ・ダビドフ氏もこの結果について「このコファー錯視こそが人々を圧倒する実験です。文化の違いでこれほどはっきりと見え方が異なるという結果は本当に驚くべきことです」と述べています。
この実験の結果は、私たちが普段「見ているもの」は本当に同じものなのか?という根本的な問いを改めて投げかけています。