量子トンネル、実は瞬間移動じゃなかった――電子は壁の中でUターンしていた!

量子トンネル効果の謎を解明するために、研究チームは電子が原子の内部からどのように飛び出してくるのかを詳しく観察することにしました。
ただし、電子そのものを直接目で見ることは不可能なので、間接的にその振る舞いを調べる必要があります。
そこで使われたのが強力なレーザー光です。
レーザーというと一般的にはポインターやレーザーカッターのイメージがありますが、この実験で使われたレーザー光は非常に短時間(30フェムト秒、1フェムト秒は1000兆分の1秒)で強力な電場を生み出す特別なものです。
この極めて短く強い電場を原子に当てると、原子が持つポテンシャル障壁、つまり電子を原子内に引き留めている「壁」を一時的に低くすることができます。
この壁が低くなることで、原子の中に閉じ込められていた電子が壁を越えて外に出やすくなります。
しかし、壁が完全に消えるわけではなく、電子にとってはまだ乗り越えるのが難しい障害物として残っています。
それにもかかわらず、量子トンネル効果によって電子は時折その壁を通り抜けてしまうのです。
この通り抜けるプロセスで電子がもし何らかの特別な動きをすれば、その痕跡は外に飛び出した電子のエネルギーや動く方向(運動量)に残ります。
そこで研究チームは、レーザーの強さを徐々に変化させながら、原子から飛び出した電子の運動を詳しく測定しました。
この測定には、電子がどれほどのエネルギーを持っているか、どのような方向に飛び出しているかを精密に観察できる「速度マップイメージング(VMI)」という先端の実験手法が使われています。
得られたデータを丁寧に解析すると、驚くべきことが分かりました。
飛び出した電子のエネルギースペクトルを調べてみると、通常の理論では決して現れないはずの強いピーク(エネルギーが突出して高い部分)が複数見つかったのです。
これらのピークは特に高いエネルギーの領域で顕著で、しかもレーザーの強さを変えてもほとんど変化しませんでした。
もし単純に壁を通り抜けただけであれば、こうしたピークは現れないはずです。
研究チームは、この不思議な現象の理由を理論的に詳しく調べました。
その結果、電子が壁の内部を通過する際、壁の内側にぶつかって跳ね返される「反射」(再衝突)という過程が起きていることが分かりました。
さらに電子は単に跳ね返されるだけではなく、壁の内部でエネルギーを得て、原子内に存在する特定の高エネルギー状態(リュードベリ準位と呼ばれる励起状態)に一時的に移行することが確認されたのです。
電子はこの励起状態を中継点のように経由して、最終的に障壁の外へと放出されていたのです。
従来の常識と新たな発見を比較すると以下のようになります
従来の常識
電子が親原子に束縛されている → トンネル脱出 (加速課程は省略)
新しい発見
電子が親原子に束縛されている → トンネル内部を進行 → 障壁の奥でUターンして親原子の核に再衝突 → トンネル脱出 → 出口で観測される
研究チームはこのような新しいメカニズムを「バリア内部での再衝突」(Under-the-Barrier Recollision, UBR)と名付けました。
UBRメカニズムがあることで、従来の理論では説明できなかった「フリーマン共鳴」(Freeman resonance)という現象がはっきりと理解できるようになりました。
フリーマン共鳴は、1980年代に初めて観測された特殊な量子現象で、ある特定の条件で原子から放出される電子が非常に強いピークを形成する現象のことです。
今回の実験により、このフリーマン共鳴のピークがUBR過程によって引き起こされることが証明されました。
特にUBR経路によるピークの強さは、従来の理論予測を大きく超え、非常に強力で安定したものだったのです。
この実験結果が意味するのは、電子がトンネルを通過する際に単に壁をすり抜けるだけではなく、内部で壁と複雑な相互作用をしていることを示しています。
具体的には電子は壁の中で一旦戻るような反射を経験し、高エネルギーの状態へと昇ってから外へと出ていることが初めて明らかになりました。
この新しい発見は、量子トンネルの理論的理解を大きく変えるだけでなく、電子の挙動を精密に制御する未来の技術開発にも大きな可能性を開くものです。