みんな大好き「多世界解釈」が危機を迎えている:理論的な大黒柱が崩壊
みんな大好き「多世界解釈」が危機を迎えている:理論的な大黒柱が崩壊 / Credit:Canva
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みんな大好き「多世界解釈」が危機を迎えている:理論的な大黒柱が崩壊

2025.01.14 17:00:02 Tuesday

皆さんは「もしもあのとき違う選択をしていたら、今ごろどうなっていただろう?」と考えたことはありませんか。

人間は誰しも、日常生活の中で小さなターニングポイントをいくつも迎えます。

たとえば、今この瞬間、この文章を読んでいる“あなた”とはほんの少しだけ違う行動や選択をしている“もうひとりのあなた”が、見えない別の世界に同時に存在している──そんな奇妙な話は、いかにもSF小説に出てきそうな設定です。

しかし実は、この「並行世界(パラレルワールド)」の概念は、量子力学という現代物理学の基礎理論の解釈として、真剣に議論されてきた歴史があります。

これがいわゆる「多世界解釈(MWI)」です。

多世界解釈の根本的なアイデアは、「量子力学において生じる“重ね合わせ”のすべての可能性が、実際に現実として同時に存在する」というものです。

たとえば有名なシュレディンガーの猫の思考実験では「生きている猫」と「死んでいる猫」が同時に存在するという奇妙な状態が出現します。

しかし多世界解釈の立場では、「猫が生きている世界」と「猫が死んでいる世界」の両方が矛盾なく並行して実在することになります。

私たちの意識はそのうち片方しか認識できませんが、他方の世界は別の“あなた”がしっかり体験している──というわけです。

このように書くと「それはほとんどSFの話では?」と思われるかもしれません。

ですが、量子力学が抱える測定問題や、いわゆる「波動関数の収縮」をめぐる長年の謎をうまく回避できるということで、多世界解釈は科学者の間でも長らく魅力的な理論として支持されてきました。

とくに、全宇宙を量子系として扱う宇宙論的視点では「世界がどこかで“ひとつに定まる”ということのほうが不自然だ」と考える研究者も少なくありません。

多世界を想定したほうが量子力学が抱える「測定問題」をシンプルに解決できるからとも言えます。

私たちが観測する前までは“不確定”だった状態が、なぜ観測した瞬間に特定の結果に収束するのか──この不思議を「実は結果がすべて同時に現実となり、私たちの意識はそのうち一つを体験しているだけ」と説明できるのが、多世界解釈の強みなのです。

デイヴィッド・ドイッチュ(David Deutsch)の著書『The Fabric of Reality(知の織物)』や、マックス・テグマーク(Max Tegmark)の『Our Mathematical Universe(数学的宇宙へのいざない)』など量子力学の第一線で活躍する研究者によって執筆された名著でも、多世界解釈が登場し、量子コンピュータの背後に潜む並行世界の可能性や、宇宙論的視点からみた多世界像が語られています。

しかし──そんな「みんな大好き」な多世界解釈が、今、思わぬ方向から“危機”にさらされています。

英ブリストル大学のサンディ・ポペスク教授とダニエル・コリンズ博士による新たな研究によって、量子力学における最重要な原理のひとつとされる「保存則」に関する新しい研究が、「多世界を仮定しなくても、あるパラドックスが解消できるかもしれない」と主張し始めたのです。

多世界解釈は物理学の根幹となる「保存則」において、他の説より有利な位置にいることが拠り所となっていました。

なのに「一つの世界だけで保存則が守られる」ことが論理的に示せるなら、「分岐」や「並行世界」といったロマンあふれる話を支える柱が消えてしまうことになります。

今回は、こうした多世界解釈をめぐる新局面を「危機」としてとらえ、まずは量子力学の基礎をかみ砕きながら、なぜ多世界解釈という考え方がそもそも魅力的なのかを紹介します。

そのうえで、多世界解釈が登場した歴史的背景や、近年の理論的展開を概観し、Collins & Popescu の研究が提起した保存則について詳しく取り上げ量子力学の解釈問題がどこまで進んでいるのか、その最前線に迫ってみたいと思います。

「世界はひとつなのか、無数なのか?」という問いかけは、単なる空想の話ではなく、量子力学という理論が突きつける根源的なテーマのひとつです。

量子コンピュータや量子通信などの実用面だけでなく、現実とは何か、私たちの存在とは何かという哲学的・宇宙論的な視点にも関わってきます。

パラレルワールドへの扉を開き「みんな大好きな多世界解釈はいま本当に危機にあるのか?」を徹底解説します。

Conservation laws and the foundations of quantum mechanics https://doi.org/10.1073/pnas.2220810120

第1章:量子力学の基礎をざっくり理解する

量子力学の基礎をざっくり理解する
量子力学の基礎をざっくり理解する / Credit:Canva

古典物理学(主に中学や高校で習う古い物理学)では、リンゴが木から落ちる理由(重力)や、台車にかかる力と加速の関係(運動方程式)など、直感的に理解しやすい法則が多く見られます。

ところが、量子世界では測定や観測こそが系の状態を大きく左右する――むしろ、測定を行うことで「初めて」粒子の性質が定まる、という奇妙な性質が見られます。

古典物理学では「人間が観測をしようがしまいが、結果は変らない」とされていますが、量子力学の世界では人間が行う観測そのものが物理現象の中に組み込まれ、現象そのものを変質させてしまうのです。

そのため観測によって起こる問題は「観測問題」と呼ばれており、多世界解釈というアイディアを知るための第一歩となります。

ここでは、量子力学の基本原理と、そこから生まれた観測問題の概要を紹介します。

量子力学とは何か

量子力学では、電子や光子(光の粒子)などの極めて小さな存在を扱います。

古典物理学の視点に立てば、「電子はボールのような粒子で、光は波だ」という単純なイメージを抱きがちです。

しかし、実際には電子は波の性質を示し、光は粒子の性質を示すことがある、という驚くべき事実が明らかになりました。

たとえば有名な「二重スリット実験」では、1個ずつの電子を2つのスリットに射出すると、1個の電子が同時に2つのスリットを通過し、干渉パターン(しま模様)を形成するという不思議な実験結果が得られます。

つまり、発射するときには1個、観測されたときも1個なのに、その1個の電子が2つの穴(スリット)を同時に通過するのです。

この現象は、電子が「粒子」でありながら「波」の性質も持っていることを示しており、一つの電子が複数の経路を同時に通るという直観に反する挙動をとることを示しています。

(※この実験セットに限定すると、干渉パターンは量子的現象が起きたことを示す証拠にとして機能します)

さらに量子力学では、「ある状態」と「別の状態」が同時に存在する重ね合わせ(superposition)と呼ばれる概念が登場します。

たとえば電子のスピン(方向感覚のようなもの)が「上向き」と「下向き」の両方を同時にとり得る――それが重ね合わせです。

ただし、私たちが観測(測定)を行うと、結果は「上向きか下向きのどちらか一方」に定まる、というのが量子力学の実験的事実です。観測前は「複数の可能性を同時に抱えている」状態で、観測後はどこか一つに落ち着いてしまう。このプロセスが量子力学独特の世界観を生み出します。

シュレーディンガーの猫のパラドックスはこの重ね合わせの不思議を象徴する思考実験としてしばしば取り上げられています。

物理学者エルヴィン・シュレディンガーは、次のような装置を考えました。

『放射性物質があり、それが崩壊するかどうかは量子的な確率で決まるとし、もし崩壊が起こると、それを検知する機構が作動して毒ガスを放出し、箱の中の猫は死んでしまう。崩壊が起こらなければ毒ガスは出ず、猫は生存したまま』

量子力学の立場に立つと、放射性物質は「崩壊した状態」と「崩壊していない状態」の重ね合わせになり得ます。となれば、その結果に連動している猫も「生きている」と「死んでいる」の重ね合わせで存在しているはずです。

ところが、箱を開けて観測(測定)した瞬間には、猫は生きているか死んでいるかのどちらかに定まる。いったい、この“定まる”というプロセスはどう理解したらよいのでしょうか?

これこそが量子力学の「測定問題」であり、のちに多世界解釈が登場する大きなキッカケの一つとなります。

測定問題の核心

量子力学は、電子などの状態を「波動関数」という数学的な式で記述します。

波動関数は「その物体(や粒子)が、空間のどこに、どんな状態で存在するかを表す“可能性の分布を示す地図”のようなものです。

この可能性の地図を使うことで小さな電子、巨大分子フラーレン、そして人間すらも波動関数として描くことができます。

「人間なんて大きくて重いし、原子の集合体だから、波動関数なんてあるの?」と思うかもしれません。

しかし理論上は「人間にも波動関数は存在する」と言えます。

そのため1個人であっても、2つのスリットを同時に通過することも「理論上は」可能となっています。

(※ただしその波動関数はものすごく大きくて複雑ものになり、実際に人間の波動関数を書き出すことは極めて困難となります。また人間のように巨大な物体は内部の原子同士が相互作用して容易に「観測」と同じ状況が起きてしまうため、人間を波にするのも極めて困難となっています)

重ね合わせの状態にあるとき、この波動関数は収縮しておらず、空間のさまざまな場所に存在確率が分布している状態にあります。

電子がいくつもの場所に“ぼんやり”と存在しているイメージとも言えるでしょう。

しかしいざ観測を行うと、「その電子がここにいた!」と、突然、はっきり定まってしまいます。

これを「波動関数が収縮した」といいます。

また別の言葉では、量子的状態が崩壊したとも表現されます。

どちらにしても、重ね合わせ状態が、一瞬にして“ひとつの場所”や“ひとつの状態”へと絞り込まれるのです。

つまり波動関数の収縮とは、本来ならいろいろな可能性が同時に存在するはずの状態が、観測した途端に、ひとつの“実際の結果”へと確定してしまうように見える現象とも言えるでしょう。

この「収縮」は物理学者の立場でも議論が絶えず、根本的な疑問を生み出してきました。「測定装置が量子系に触れると何が起きるのか?」「観測とは何が決め手なのか?」など、数多くの解釈や理論的議論が展開されてきたのです。

そしてこの問題は科学哲学にも普及していきます。

猫の話に戻れば、「観測」が行われるまで猫は生と死を重ね合わせているのかもしれません。

しかし、もし箱の中の猫自身が「観測者」だとしたら?

あるいは「見ている人」以外にも観測者は成り立つのでは?

こうした突き詰めた問いが、「意識」と量子力学の結びつきまで論じる議論や、「観測者」と「被観測系」を同等に扱おうとするアプローチを生み出しました。

そこで登場したのが多世界解釈です。

次ページ第2章:多世界解釈(MWI)とは何か

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