第4章:多世界解釈と保存則
これまで見てきたように多世界解釈は「量子力学における観測問題」を世界線の分岐という力技でスッキリと解決する大胆な理論です。
しかし、量子力学の問題は観測だけではありません。
観測問題ほど有名ではありませんが、実は量子力学には「エネルギーや運動量に対する保存則」にも問題を抱えていました。
古典力学や電磁気学、相対性理論など、近代物理の根幹を成す方程式群は、エネルギー保存や運動量保存を大前提としています。
たとえばある野球選手が野球場でボールを投げた場合、野球選手からはボールを投げるのに使ったエネルギーが失われます。
ボールを際限なく投げ続ければ、選手からエネルギーが失われ続け、やがて疲れて倒れてしまうでしょう。
しかし野球場を含む空間全体から見た場合、野球選手が失ったエネルギーは飛んでいくボールや、そのボールが命中した壁に移っただけであり、空間全体の持つエネルギーの総和は保たれたままとなります。
あるいは走っている車がブレーキをかけると、車の速度は減少して運動量がなくなります。
この場合、車は野球選手の例ように外部の何かにエネルギーを出力しているわけではないので、車の失った運動量がどうなったかは視覚的にはよくわかりません。
しかし減速していく過程で、車の運動エネルギーは完全に消えるわけではなく、ブレーキパッドやディスク、タイヤなどの摩擦によって熱エネルギー(さらに音や摩耗の形で微小なエネルギー)に変換されているのです。
急ブレーキを踏んだ車が甲高い音を立てるのも、運動エネルギーが音エネルギーに変換されている証拠と言えるでしょう。
このようにエネルギーや運動量は形を変えて移り変わっても、その総和は変らないというのが保存則になります。
保存則は物理学の最重要の柱とも言われ、実験的にも無数の検証が積み重ねられてきました。
量子力学でも、シュレディンガー方程式にハミルトニアン(エネルギー演算子)を定義すれば、閉じた系ではエネルギーが保存されることが示されます。
しかし、実際には“測定”という操作が、演算子の固有状態へと波動関数を“突然”写し替えてしまう(射影測定)というコペンハーゲン的解釈のステップがあるため、「あれ、保存則が破れているのでは?」と思える場面が出てきます。
たとえば、ある粒子の運動量を測定するとき、測定の前は「運動量がいろいろな値の重ね合わせ」だったかもしれません。
ですが測定によって「1つの値」に定まるなら、その前後で“見かけ上”運動量が変化したように見えます。
もちろん、装置が粒子と相互作用することで運動量がやり取りされる、と考えれば説明は可能です。
問題は、その「やり取り」のメカニズムを量子力学的に厳密に追求したときに、通常の解釈では「観測に伴う波動関数の収縮」が追加で必要となる点です。
先に触れたシュレディンガーの猫でも、放射性崩壊が起きるか否かというプロセスが重ね合わせになるとき、系全体のエネルギーの扱いが微妙になります。
測定をして「猫が死んでいる」とわかった瞬間、その間にどこかで崩壊エネルギーが放出されたはずですが、猫が死んでいない枝では崩壊エネルギーの放出そのものが起きていません。
もし重ね合わせ状態が“一つの結果”へと収縮するなら、もう一方で想定されていたエネルギーの行方はどうなるのでしょうか?
ジョン・フォン・ノイマンも論文にて、このように「測定によって保存則が一瞬破れるかのように見える現象」について指摘しており、観測問題と併せて保存則問題は研究者たちの頭を悩ませています。
というのも、量子力学の予測は本質的に確率的であり、多数回の実験を行ったときの「統計平均」では保存則が満たされると考えられています。たとえば100回、1000回と同じ測定を繰り返して得られる平均値は理論と合致するでしょう。
しかし「たった一度きりの測定」に着目したとき、果たして保存則をどう考えればいいのか?という疑問が浮かびます。
古典的な直感なら、「1回の測定においても保存則は破れないはずだ」と思いたいところですが、通常の量子論的には「重ね合わせ状態のどの要素が実現するかは確率的」という説明にとどまってしまうことも多いのです。
しかし多世界解釈はこの問題を鮮やかに解決しています。
多世界解釈では、観測の結果が複数あればそれぞれの可能性がすべて別の世界で実現すると考えます。
したがって、運動量が“突然増えた”ように見える結果が出ても、並行世界のどこかでは“減った”世界があるかもしれない。それらをすべて合わせて考えれば、トータルの保存則は破れていないと解釈できるわけです。
「たった一度きりの測定」で異常に高い運動量が観測されて保存則が破れているように見えても、その「たった一度きりの測定」は無数の世界線をうみだし、その中に異常に低い運動量が観測された世界線もあるため、最終的な保存則は守られるわけです。
あえておみくじで例えるならば、大凶を引き当ててしまった不運を帳消しにするため、別の世界線では大吉を引き当てている自分がいる状態とも言えます。
(※言うまでもなく「運」や「確率」はエネルギーや運動量と違いもともと保存則に当てはまりません。あくまで異常に高い結果は異常に低い結果で補われるという点を強調したたとえです)
多世界解釈を信じる研究者たちも、多世界解釈においては「いくつもの測定結果が生じる世界を合わせて考えれば、運動量などが保存される」と説明するのが典型的でした。
このような量子力学の保存則問題に対する筋が通った解釈は、ある意味で多世界解釈の優位性を示すだけでなく、多世界解釈を支える大黒柱として機能してきました。
しかし新たな研究により、この大黒柱が揺らぐことになり、多世界解釈は危機を迎えました。