第2章:多世界解釈(MWI)とは何か
前章で触れたように、一般的な量子力学の説明では「観測の瞬間に波動関数が収縮する」という不思議なプロセスが登場します。
しかし多世界解釈では「そもそも不思議な収縮など起こらない」とする主張が根底にあります。
多世界解釈の源流となったのは、アメリカの物理学者ヒュー・エヴェレット3世(Hugh Everett III)が1957年に発表した論文「“Relative State” Formulation of Quantum Mechanics」です。
彼は量子力学が従うシュレディンガー方程式が「常に成り立つ」ことに注目します。
通常の解釈では、「観測」という過程だけはなぜか特別扱いされ、そこだけ波動関数が収縮すると考えられていました。
エヴェレットは、なぜ観測だけが特別なのか、どうして自然界にそんな“二重基準”が必要なのか、と疑問を抱いたのです。
またエヴェレットはこの中で「波動関数の収縮」をあえて認めず、観測者を含む宇宙全体が常にシュレディンガー方程式による進化(ユニタリー進化)だけで記述されると提案しました。
ある意味で「シュレーディンガー方程式の普遍性と物理学にダブルスタンダードを許さない純粋さ」が多世界解釈誕生の原動力となったと言えるでしょう。
そして観測による波動関数の収縮を認めない代わりに、エヴェレットはあらゆる可能性が実現する「並行する世界」が次々に生まれると考えるとする多世界解釈に辿り着きます。
たとえば、シュレディンガーの猫に再び登場してもらいましょう。箱の中の猫が“生存する”可能性と“死ぬ”可能性がともにある状態では、観測(箱を開ける行為)が起こる前から世界はそれらを含んだ総合的な量子状態にあります。
そして観測が行われた瞬間に「猫が生きている」状態を観測する世界と、「猫が死んでいる」状態を観測する世界の両方が、ひとつの大きな量子状態の中で分岐する──つまり、「どちらの可能性も本当に起こっている」のです。
イメージとしては
分岐前:「生きている猫」+「死んでいる猫が」が重ね合わせとして共存している
分岐後:「猫が生きている世界線」と「猫が死んでいる世界線」が独立して存在する
となります。
多世界解釈は重ね合わせは否定しないものの、波動関数の収縮という(エヴェレットからみれば意味不明な)状況を認めないことを代償に、分岐する世界を創造したのです。
そしてその後は「猫が生きている世界線」と「猫が死んでいる世界線」が互いに触れ合うことなく、独自の歴史を辿ることになります。
この「収縮を認めない」アプローチは当初、物理学界からはあまり注目されませんでした。エヴェレット自身も若くして研究を離れ、表舞台にはほとんど出なくなってしまいます。
この時点で多世界解釈は有力な仮説としては死んだと言えるでしょう。
しかし後年、ブライス・デウィット(Bryce DeWitt)らの研究によって再評価され、いまや多世界解釈は量子力学の有力な解釈の一つとして広く知られるに至りました。
デウィットは、量子宇宙論や場の量子論の観点からも 多世界解釈が矛盾しないことを示そうとします。
特に重力を含む量子理論(量子重力)を考えた際に、観測者や外界との境界を曖昧にする必要があるとされ、コペンハーゲン解釈よりむしろ MWI の方が自然なのではないか、という議論が生まれました。
こうした流れは後にスティーヴン・ホーキング(Stephen Hawking)やマーティン・リース(Martin Rees)といった宇宙物理学者の議論にも影響を与え、宇宙論と量子基礎の接点で多世界論が取り上げられる下地となっていきます。
実際、ホーキングは、宇宙全体を量子力学的に扱い「宇宙の波動関数」を考えるアプローチを推進しました。これは、観測者を含むすべてを量子論で記述する多世界解釈的な発想に近い部分があります。
(※ホーキング自身が多世界解釈の信奉者という意味ではなく、彼の理論における波動関数の扱い方が多世界解釈に近いものがあるという意味です)
このように、多世界解釈は観測問題の説明として非常にシンプルかつ大胆です。
何しろ「収縮」という特殊な物理過程を廃して、波動関数の普遍的進化だけを認めればよいわけです。
しかし同時に、「世界が分岐して膨大な並行宇宙が存在する」という図式は、にわかには受け入れがたい壮大かつ哲学的なものとなりました。
にもかかわらず多世界解釈が、多くの物理学者や量子情報科学者から支持を集めているのは、後述するように測定問題や保存則といった量子力学の根本的な謎を“きれいに”統合できるためです。
次章では、なぜこのような魅力的な解釈がこれほど支持されているのか、その背景と理由をさらに掘り下げてみましょう。