仮想世界で起きた免疫反応
今回の研究では、仮想現実(VR)という最新の技術が使われました。
研究チームは、合計248人の健康な大人に協力してもらい、VRの中でさまざまな状況を体験してもらいました。
ただし、全員が同じ実験をしたわけではなく、行動の反応を見る実験や、脳波(EEG)を測る実験、血液を調べる免疫実験、脳の画像を撮るfMRI実験など、それぞれの内容に応じて異なるグループが参加しました。
VRの中で参加者は、人の顔がだんだんと自分に近づいてくる映像を見ます。
顔の種類にはいくつかあり、ふつうの表情の人もいれば、発疹(はっしん)などの病気のサインが見える人、さらには怖がっているような不安そうな表情の人もいました。
実験では、まず全員がふつうの顔を見た後、それぞれのグループごとに別の種類の顔を何度か見るように設定されていました。
参加者たちは、病気のサインがある顔を見たとき、「この人は感染しているかもしれない」と自然に感じることがわかっていて、実際にそのような顔からは無意識に距離を取りたくなる傾向があったそうです。
研究者たちは、こうした見た目の違いが私たちの体にどんな影響を与えるのかを調べるため、ある実験を行いました。
それは、アバター(仮想の人物)が近づいてくる間に、参加者の顔に小さな振動のような刺激を与え、どれだけ早くボタンで反応できるかを測るというものです。
このテストでは、相手に対する「警戒心」がどれくらい高まっているかを知ることができ、特に自分の体のすぐ近くの空間(パーソナルスペース)をどう感じているかがわかるのです。
結果として、「病気の顔」のアバターが近づいてきたときには、まだ遠くにいても反応が早くなり、「早めに身構える」ような状態になっていたことが確認されました。
これは、他の顔(ふつうの顔や恐怖の表情)と比べても明らかだったそうです。
面白いのはここからです。

このような身体の反応が、脳の中ではどのように起きているのかを知るために、別の実験では脳波とfMRIが使われました。
これらの実験は別々の参加者に対して行われましたが、どちらの結果からも共通したことがわかりました。
まず脳波のデータを分析したところ、病気の兆候を持つアバターが近づいてきたときには、ふつうの顔のときよりも早い段階で、脳の反応が強くなっていました。
脳が「これは危険かもしれない」と素早く判断していたのです。またfMRIのデータでは、脳の中で「危険を検知するネットワーク」と呼ばれる部分と、体の内部の働きをコントロールする視床下部(ししょうかぶ)が強くつながっていることがわかりました。
この視床下部は、ホルモンや免疫の調整にも関わっていて、ここが動き出すということは、脳が「免疫システムに準備をさせている」サインかもしれません。
さらに、研究チームはVR体験の前後で参加者の血液を採取し、体の中で実際にどんな変化が起きているかを調べました。
その結果、病気のアバターを見た人たちの体では、「自然リンパ球」と呼ばれる免疫細胞が活性化していることがわかりました。
これは、体内にウイルスなどの異物が入ってきたときに、最初に警報を鳴らすような役割をもつ細胞です。
面白いことに、この反応は、実際にインフルエンザワクチンを受けた人たちと同じようなパターンを示していました。
つまり、VRの中で病気の人を見ただけで、体の免疫が「本物の感染」に備えて動き出していたというわけです。