無害なウイルスが、皮膚がんを暴走させる仕組み

なぜ女性患者は皮膚がんの再発を繰り返していたのか?
謎を解明するため研究者たちは患者の額の皮膚がん組織を遺伝子レベルで徹底的に解析しました。
その結果、驚くべき事実が判明します。
腫瘍細胞のDNAの中に、通常は無害とされるβ型のヒトパピローマウイルス(HPV)のDNAがしっかりと組み込まれていたのです。
しかもウイルスは腫瘍細胞の中でがんの進行に関わるウイルスタンパク質(E6/E7)を高いレベルで作り出し、まさにがんを増殖させるエンジンとして活発に動いていました。
さらに詳細な検査により、患者の細胞には紫外線によるDNA損傷を修復する能力が正常に備わっていることも確認されました。
当初想定されていた「紫外線が主因」という見方は弱まり、一般的な皮膚がんに比べてUVの痕跡が少ないことから、ウイルスが主要な役割を果たしていた可能性が高いと考えられるようになりました。
では、本来おとなしいウイルスがなぜここまで暴走できたのでしょうか?
免疫学的な解析の結果、彼女にはT細胞(免疫の司令塔)の働きを著しく低下させる遺伝子変異(ZAP70関連)があることも判明しました。
この変異の影響で、皮膚の細胞がヒトパピローマウイルスに感染してもT細胞が十分に活性化せず、ウイルスの増殖を許してしまっていたのです。
その結果、皮膚の中でヒトパピローマウイルスが暴走を始め、イボから皮膚がんまで次々と“ウイルス関連病変”が発生したと考えられます。
ある意味でこの患者さんの場合、ウイルスが腫瘍のエンジン、そして免疫不全がアクセルになってしまったのです。
ですが原因が分かれば、対策も見えてきます。
研究者たちは治療の照準を免疫異常そのものに合わせることにしました。
具体的には、患者に適したドナーを見つけ出し、同種造血幹細胞移植(HCT、一般に“骨髄移植”と呼ばれる治療)によって新しい健全な免疫システムを構築するという思い切った治療を実施しました。
生まれつき免疫不全の患者に移植治療を施すのはリスクが伴いますが、綿密な準備の末に移植は無事成功しました。
すると驚くべきことに、長年苦しんでいた皮膚のイボ(疣贅)から侵潤性の皮膚がんに至るまで、ヒトパピローマウイルスが関わっていた全ての病変がきれいさっぱり消えてしまったのです。
移植後3年以上が経過した現在も再発は認められず、患者さんは寛解を保っています。
免疫というブレーキを新しく利かせ直すことで、暴走するウイルスというエンジンを停止させ、がんまでも消失させることに成功したのです。