「本気で嫌われているわけではない」という安心感
感情的マゾヒズムが成立するためにもう一つ重要なのが、「安全な文脈」という要素です。
これは心理学者ポール・ローゼン(Paul Rozin)らが提唱した「良性マゾヒズム」の特徴と共通しています。
良性マゾヒズムとは、危険がないとわかっている状況だと、不快や恐怖を楽しめる傾向を指します。
たとえば、絶叫マシンは「あくまで安全が確保された娯楽」とわかっているからこそスリルを楽しめます。ホラー映画やゲームも同様で、命を危険にさらす恐怖を安全な場所から楽しみます。これらは良性マゾヒズムの一種とされます。

同じことが好きな人の罵倒にも当てはまります。
信頼できる相手や好意を持つ相手から罵倒されるというコンテンツは、本気で嫌われているわけではないと理解しているため、そこで生じる不快感を脅威とは感じません。
この「安全な不快感」は、ホラー映画を楽しむように、安全だとわかっているからこそ味わえる刺激として受け止められます。その結果、関係性にちょっとしたスリルや高揚感を与える「演出」として作用するのです。
一方で、職場の上司や見知らぬ人からの罵倒は安全地帯の外で起きる出来事です。そこには信頼関係も冗談の余地もないため、単なるストレスや脅威として受け止められます。
つまり、罵倒が“嬉しい”と感じられるかどうかは、相手との関係性と安心感によって大きく変わるのです。
罵倒がご褒美に変わる瞬間
罵倒されることで喜びを感じる現象は、単なる変態というではありません。
そこには、心理学でいう良性マゾヒズムの安全なスリルに加え、自己評価や罪悪感、権力関係、注目欲求といった複数の心理的要因が絡み合っています。
信頼できる相手からの罵倒は「本気で嫌われていない」という安全地帯を前提に、不快感をスパイスへと変えることができます。その上で、自分の本質を見抜かれたような安心感や、罪の償いをしたような解放感、責任から解放される安堵、そして相手の関心を一身に浴びる高揚感が加わることで、その体験は“ご褒美”として成立します。
つまり、この心理は安全な文脈 × 複数の個人的動機がそろったときにのみ生まれる繊細な感情です。裏を返せば、関係性や状況が変われば、それは容易にただのストレスや脅威に変わってしまいます。
安心感と刺激の間を巧みに行き来する――そこに、この独特な喜びの本質があるのです。
闇落ちジト目お姉さんの強キャラ感がすごい。
変なAI絵やめた方が良いと思う