スポンジのように吸収する赤ちゃん脳は高速なのか

「赤ちゃんの目には世界がどう映っているのかな?」
こんな素朴な疑問を、誰もが一度は感じたことがあるのではないでしょうか。
赤ちゃんは毎日が初めての連続です。
目にするもの、耳にする音、そのすべてが新鮮なのに、不思議なことに次々と新しいことを学び取っていきます。
まだ言葉も話せない赤ちゃんが、どうしてこんなにも短い期間で言葉や身の回りの動きを覚えられるのか、その仕組みはずっと科学の謎でした。
一般的にはよく、「赤ちゃんの脳はスポンジみたいにどんどん吸収する」と言われます。
ここで、「吸収する」という言葉の印象から、赤ちゃんの脳が高速で次々と情報を処理していると想像する人も多いかもしれません。
しかし実際に赤ちゃんと遊んでいると、おもちゃを素早く動かしても、赤ちゃんは即座には反応しません。
むしろ赤ちゃんは、じっくりと興味深そうに見つめ、ゆっくりと微笑みながら手を伸ばしたりします。
絵本をめくって見せたときも、ページを高速でめくるより、1枚の絵をじっくり見せたときの方が、赤ちゃんは長く視線をとどめていることが多いと報告されています(保育現場や発達心理の観察でよく知られた現象です)。
さらに、親の顔を見つめてから微笑むまでにワンテンポ遅れがある「ソーシャルスマイル」や、音楽のリズムに反応するまでに少し時間がかかる「拍への同調」なども、乳児期に典型的に見られる行動です。
この姿を見ると、まるで赤ちゃんの目には目の前の世界がゆったりとしたスローモーション映像のように流れているのではないかと思えるほどです。
では、なぜこのようなことが起こるのでしょうか?
実は、人間の脳は、目や耳から入ってきた情報をリズム(繰り返される周期的な動き)を利用して整理しています。
私たちが見たり聞いたりする大量の情報を、脳がそのリズムで仕分けをし、無意識のうちに記憶や認識の準備を整えているのです。
脳が刻むリズムには「ピーク周波数」という重要な考え方があります。
これは、脳の活動で中心となるリズムを表し、この記事では情報を処理する速さ、いわば“脳のテンポ”を意味します。
たとえば、音楽をイメージしてみてください。
ある曲がゆったりしたテンポで進むとき、私たちは一つひとつの音を丁寧に聴き分け、じっくりとその曲を味わいます。
逆にテンポが速くなると、一つひとつの音よりも、音の流れやリズム感に意識が向きますよね。
脳のピーク周波数もこれと同じように、その人がどんなテンポで世界の情報を感じ取り、整理しているかを表しているのです。
ピーク周波数がゆっくり(低い)ということは、脳が情報をゆっくりと丁寧に処理していることを意味し、ピーク周波数が速い(高い)場合は、脳が情報を素早く取り込んで効率よく整理しているということになります。
おもしろいことに、このピーク周波数は年齢とともに少しずつ速くなっていくことが知られています。子どもの頃はゆっくりだった脳のリズムが、大人になるとだんだん速くなる傾向があるのです。
つまり、赤ちゃんと大人とでは、世界をどう感じ取り、どう処理するかという「脳のテンポ」が根本的に違っている可能性があります。
けれども、赤ちゃんが実際にどんなテンポで世界を感じているのかを科学的に確かめるのは、とても難しい課題でした。
理由は単純です。
赤ちゃんに「いま、脳のリズムはどう感じてる?」とたずねることはできませんし、脳波(EEG)を安定して測るのも簡単ではありません。
動き回ったり泣いたりする赤ちゃんから、正確なデータを取るのは本当に大変なのです。
こうした大きな壁を越えるため、ドイツのレーゲンスブルク大学とイギリスのオックスフォード大学の研究チームは新しい方法を考えました。赤ちゃんがじっと画面を見ているだけで、脳が刻んでいるリズムを“こっそり盗み聞き”できるしくみを工夫したのです。
この実験によって、研究者たちは「赤ちゃんには世界がゆったりとしたスローモーションのように見えているのか?」というワクワクする問いに、ついに挑戦できるようになりました。