コロナワクチンが「がんに効く」という驚きの結果

研究チームは最初に、実際に治療を受けている患者さんたちの医療記録を詳しく調べるところから始めました。
調査の対象になったのは、アメリカのテキサス大学MDアンダーソンがんセンターという施設で、2019年から2023年までにがんの免疫療法を受けていた1000人以上の患者さんたちです。
特に対象としたのは、進行した肺がんと悪性黒色腫(メラノーマ)という種類の皮膚がんでした。
この研究で最も重要だったポイントは、新型コロナウイルスのmRNAワクチンを接種したかどうかでした。
具体的には、免疫療法の治療を始める前後100日以内という比較的短い期間に、このワクチンを接種していた人と、接種しなかった人のその後の生存期間を比較したのです。
すると、非常に興味深い差が見えてきました。
例えば、進行した肺がんの患者さんの場合、ワクチンを接種しなかった人たちの生存期間の中央値(生存者を順に並べて中央に位置する人の生存期間)が約20.6か月でしたが、ワクチンを接種した患者さんたちでは約37.3か月まで延びていました。
つまり単純計算で(肺がんでは中央値が)約2倍近くも生存期間が延びるという、はっきりとした差が確認されたのです。
また皮膚がんのメラノーマでは、生存期間の中央値はまだはっきりとは出ていませんが、3年間の生存率で見ると、ワクチンを接種しなかった患者さんでは約44%だったのに対し、接種した患者さんたちでは約67%に改善しました。
さらに、比較のためにインフルエンザや肺炎のワクチンを接種した人のデータも調べましたが、こちらはがんの生存期間に明確な改善は見られませんでした。
つまり、この「コロナのmRNAワクチンだけ」に特別な仕組みが働いている可能性が出てきたわけです。
さらに研究者たちが特に驚いたのは、本来「免疫療法が効きにくい」とされている患者さんたちでの大きな効果でした。
一般的にがん細胞は「PD-L1(ピーディーエルワン)」というタンパク質を表面に作り出して、これを一種の「盾」にして免疫細胞からの攻撃を防いでいます。
ところが一部のがん細胞は、この「盾」をほとんど持っておらず、免疫細胞から見えないように隠れる「隠密行動」で免疫攻撃を回避しています。
こうしたタイプは「免疫冷遇型」と呼ばれ、従来は免疫療法がなかなか効かない手強い相手でした。
ところが、今回の研究では、この「隠密型」のがん患者さんにおいても、ワクチンを接種したことで3年後の生存率が約5倍に高まるという結果が観察されました。
いったいこれは何が起きているのでしょうか?
研究チームはこの謎を探るために詳しく調べました。
すると、新型コロナワクチンが体の中に入った時に、体内で一種の「非常ベル」として働き、免疫システムに強力な警報を出すことが分かりました。
これが免疫細胞を強く刺激して、普段はなかなか起きないほどの「最高警戒態勢」にまで引き上げてしまうのです。
すると今まで免疫をうまくすり抜けていた「隠密行動型」のがん細胞も、慌ててPD-L1という「盾」を作り始めます。
しかし実は、患者さんたちはこの「盾」を無効化する「免疫チェックポイント阻害薬(ICI)」という薬も同時に投与されています。
そのため、がん細胞が慌てて作った「盾」はすぐに無効化されてしまい、むしろがん細胞が自ら「ここにいる」と目印を付けて免疫細胞に教えてしまう結果になったのです。
比喩で言えば、がん細胞が「免疫から逃げて隠れていたのに、自分で大声を出して居場所を教えてしまった」ような状態です。
さらに研究チームは、この仮説をしっかり確かめるため、マウスを使った動物実験でも検証しました。
その結果、免疫チェックポイント阻害薬と新型コロナウイルスのmRNAワクチン(動物実験用モデル)を一緒に投与すると、これまでは効果がなかったタイプのがんでも腫瘍の成長が明らかに抑えられたのです。
まさに「効かなかったはずの治療」を「効く治療」に変える可能性が示されました。
こうして研究チームは、患者さんたちの医療データと動物実験という2つの異なる角度から、「感染症用のmRNAワクチンで免疫を覚醒させる」という方法が、がん治療の大きな突破口になる可能性を示しました。