免疫療法の「目覚まし時計」は新型コロナワクチンだった?

正直なところ、この話を聞いたとき、少し奇抜すぎて理解が追いつかなかった方も多いかもしれません。
ワクチンというと、そもそも感染症を防ぐために使うイメージが一般的であり、インフルエンザワクチンのように、体に入ったウイルスを免疫が覚えておいて退治するための準備、というのが本来の役目です。
そのため、がんの治療とはまったく別世界の話だと思われても不思議ではありません。
ところが近年、「免疫療法」というがんの新しい治療法が急速に注目されています。
免疫療法とは、薬を使って患者自身が持つ免疫システムを活性化させ、がん細胞を自分の体内の免疫の力で攻撃しようというアプローチです。
もともと私たちの免疫細胞は、体内に侵入した細菌やウイルスを敵とみなして攻撃し、感染症を防いでくれていますが、実はがん細胞も本来なら「敵」として免疫の攻撃対象になるはずです。
しかし現実には、多くのがん細胞は巧みに免疫の目をかいくぐり、攻撃されないよう「カモフラージュ」をしています。
免疫療法が成功するには、この免疫細胞ががんを攻撃するスイッチを完全にオンにする必要がありますが、いくら治療薬を使っても、スイッチが完全に入らず「眠ったまま」になってしまうことが課題となっていました。
そこで登場したのが、少し乱暴な比喩ですが「ウイルス感染をあえて演出する」というアイデアです。
私たちの免疫システムは、ウイルスが侵入すると一気に目覚め、外敵を倒そうと全力で活動を開始します。
つまり、がん細胞を倒すために免疫細胞を目覚めさせるには、本当にウイルスに感染する必要はなくても、「ウイルスが侵入した」と免疫細胞に錯覚させてしまえばいい、ということです。
実際、2025年7月に報告された動物実験では、この驚くべき仮説がすでに一定の成功を収めています。
マウスに対して特定のがんを標的としていない、ごく一般的な(専門的には「非特異的」と呼ばれる)mRNAワクチンを投与しました。
すると、ワクチンが体内に入ると免疫細胞はまさに「緊急事態だ、ウイルスがやってきたぞ!」という具合に最高レベルの警戒モードに切り替わったのです。
この強い反応が、がん細胞に対する免疫攻撃力を大きく向上させることが確認されました。
ここで研究チームは、「もしや、新型コロナワクチンでも同じような効果が人間でも起きるのでは?」と、大胆な仮説を立てました。
新型コロナウイルスのmRNAワクチンも同様に、「免疫システムにウイルス侵入を警告する」というメカニズムを利用していますから、理論的には免疫を最大限に覚醒させる「非常ベル」としてがん治療に役立つ可能性があるわけです。
がんの中でも特に治療が難しい進行がんでは、従来の免疫療法が思ったように効果を出せず、患者にとって「これ以上の手がない」という非常に厳しい壁が存在しています。
しかし、もしこの壁を私たちがすでに手にしている新型コロナワクチンで打ち破れるとすれば、これはまさに治療における大きな前進となるかもしれません。
果たして、感染症予防を目的に作られたワクチンが、がん免疫療法という異なるフィールドで、本当に救世主のような役割を果たすことができるのでしょうか?